薄明

ごじょうさとる×ふしぐろめぐみ
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2023年9月 この範囲を時系列順で読む この範囲をファイルに出力する

待ち合わせ
タワレココラボの時に書いたやつ

「止まってはないんでしょ?…うん、そっか。じゃあ待ってるから」
 待たせてすいません、という律儀な一言を最後に聞いて電話が終わる。久しぶりに2人で夕食でも食べようと予定を合わせてみれば、どうやら伏黒の乗る予定だった電車が遅延しているらしい。ぽっかりと空いた時間に、こんなことなら横着して現地集合にしなければよかったと少し後悔した。面倒でもちゃんと任務終わりに1度高専に帰って伏黒と一緒に出ればよかった。そうすれば遅れる電車を待つ時間を有意義に使えたのに。
 吐いた息が真っ白になる寒さの中で、五条はどこか時間を潰せる場所がないかと軽く周囲を見渡した。人の多い駅前、少し時間を潰す程度なら困ることはなさそうなくらい色々なものがある。コンビニ、ファストフード店、アパレルショップ等々。
(…そういえば最近忙しいって言ってたっけ)
 その中で目に付いたCDショップに、不意に伏黒がなかなか買いに行けてないと言っていたことを思い出す。つい1週間ほど前に発売された、伏黒がよく聴いているアーティストの新譜。
 電車の遅れは30分程だと言っていたから混んでいなければ買う時間くらいはあるだろう。そう思い立って五条は待ち合わせ場所である駅前の銅像から離れて近くにあるCDショップへと向かった。


 五条が買い物を終えて再び待ち合わせ場所へと戻った頃、伏黒から再度電話があった。最初の電話から30分ちょっと。どうやら着いたらしい。
「もしもーし。駅着いた?」
 五条の言葉に歩きながら話しているのか、僅かにぶれた言葉でもって「今着きました。すいません」と返事が来る。
「ん。ゆっくりでいいから。待ってるよ」
 この様子ならあと2分くらいでやってくるだろう。ちょっと早足で、寒さで鼻の頭と頬を赤くして、そうしてやってくるなり五条の顔を見て「すいません」なんて律儀に言うに違いない。
 黄色い袋を揺らしながら、五条は伏黒が謝る前にこのCDを渡してやろう、なんて考えた。謝る暇も与えずに渡されたこの袋にきっと伏黒は目を丸くして、すいませんなんて言うのも忘れて少し眉を下げてありがとうございます、なんて言うのだ。

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知らぬが仏

 伏黒と五条が仲がいい、というのはなんとなく察していた。2人の距離がちょっと近過ぎると思わないでもないが、どうやらかなり長い付き合いらしいので、五条の性格も相まってそういうものなのだろうと虎杖は納得していた。横に立つを通り越して最早腰を抱いている時もあるが、まぁそういうものなのだろう。触らぬ神に祟りなしという言葉を虎杖は無意識に実践していた。
 そんなある日のこと。明日行く任務のことで少し気になることがあって五条を探していた日のことだった。校内のあちらこちらを探し回ってようやっと見つけ、五条を呼ぼうとした時。
「せんせ、」
 途中まで呼んで虎杖は持ち上げた腕を下げた。そのまま気付かれないように死角になる場所へと素早く移動する。
「っぶねー…」
 五条の大きな身体の影になっていてよく見えなかったが、間違いなく伏黒がいた。何をされていたのか正確には分からないが、少し屈んで丸くなっていた五条の背中と、少し背伸びするように伸ばされた伏黒の足。おそらく、たぶん、きっと。
触らぬ神に祟りなし、そう胸の内で唱えてその場から離れた。とりあえず見なかったことにして、明日もいつもと同じように伏黒と接してやらないと、なんて考えながら。

ーーー

「なぁ、五条先生と伏黒ってマジで付き合ってんの?」
 唐突に振られた言葉に、釘崎は「今更?」と返した。これから任務に向かうというのに何を今更と、釘崎は溜息を吐き出した。どこからどう見てもただの教師と生徒でもただの古い付き合いでもなかろうに、何を見ていたのか。
「あれ、知ってた?」
「どっからどう見てもデキてんでしょ。あいつらがキスしてんのも見たことあるわよ」
「あっ、俺もこの間見た!」
 引率の五条を待ちながら、いないばっかりに話題に出されている伏黒を少しだけ可哀想に思う。釘崎がたまたま目撃したのは自販機の影だったが、五条のことだからちょっとくらいいいでしょ、なんて言って伏黒に我儘を通しているのだ。一応人並み程度には倫理観のある伏黒が乗り気になってあんな場所でキスを許すとは思えない。というか、キスで一応済んでいるのだろうか。これ以上考えるのは罪悪感が勝るので考えないが、五条のことだから釘崎が空気を読んで立ち去ったあとも何かしたかもしれない。五条はそういう男だ。
 相変わらず遅刻してくる五条を待ちながら釘崎はもう一度溜息を吐き出した。
「男の趣味が悪い」

ーーー

 伏黒はとにかく五条に甘い。口では一応形として拒否するが、少し押せば仕方ないと受け入れる。あんまりにも簡単すぎてたまに心配になるのだが、素直に受け入れる伏黒が可愛いから未だに「危機感持ちなよ」とは言えなかった。たぶん言ってしまったら、校内でちょっと口が寂しいからキスしたいと思っても出来なくなってしまう。
「…ちょっと、早く屈んでくださいよ」
 声を潜めて伏黒が言う。あまり人の来ない裏庭だとはいえ、校内で外。ぐいぐいと五条の襟を引っ張る勢いがいつもより強いのは当然のことだった。
 とにかく伏黒は五条に甘い。あんまり人気がなかったり、死角になっていたり、そういうこっそりできる場所であれば五条が「ちょっとキスしたいな」と言っても大体OKを貰えてしまう。昔からよくこっそりキスくらいはしていたから今もそれが残ってしまっているのだが、たぶん伏黒は知らない。何度か目撃されていることを。
「ちょっと、」
「ごめんごめん。…ん」
 知らない方がいい事も世の中には山ほどある。これはそのうちの一つだ。
 ちょっと照れ臭そうに顔を寄せる伏黒に、五条はこれからも言わないでおこうと決めるのであった。

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モーニングルーティン

 仕事がない日はいつも朝から気分が持ち上がる。それが伏黒も仕事の無い日となれば尚のこと。任務が無いのをいい事に暖かい布団にくるまって思う存分眠りこける伏黒を一頻り眺めて、寝癖だか元のくせっ毛なのか分からない跳ねた黒髪を好き勝手撫で回して、それでも起きない伏黒の鼻先にキスをしてから一足先にベッドから抜け出す。朝の空気でひんやりとしたフローリングに素足を冷やされながらベッドルームから抜け出してキッチンへ。
 これは五条と伏黒の休みが重なった日のルーティンだ。
 ケトルに2杯分の水を入れてスイッチを押し、2人分のマグカップにインスタントコーヒーを適当に用意する。伏黒が起き出してこないうちに用意するのがポイントだ。どんなに寝惚けていても五条が角砂糖を3個以上入れようとするとちゃんと止めるのだ。眠たげな瞳でもって「だめですよ」なんて言って。それはそれで可愛いのだが、いつもより砂糖多めの贅沢なコーヒーはこの時しか飲めないから今日は起こさないことにする。小さい鼻歌と共にトースターに食パンをセットして、2人で座るテーブルにジャムとバターを用意。
「そろそろかな」
 ここでケトルがお湯が沸いたことを教えてくれた。熱いコーヒーが完成した頃に伏黒は大体起きてくるのだ。欠伸を噛み殺して目を擦りながらベッドルームから出てきて、既に用意された朝食に舌っ足らずにありがとうございますと言うまでがコーヒーが熱いうちのお約束。そこから洗面台へ向かう足はひどくゆったりとしているが、帰ってくる頃には跳ねていた髪は気持ち程度落ち着いて足取りも少しだけしっかりしている。半分閉じられていた瞼はちゃんと開いて、舌っ足らずだった口もはっきりしてしまう。眠そうな顔に変わりはないけれど、その頃にはもうコーヒーは猫舌の伏黒が飲みやすい温度になっている。
 そしてお互い休みの朝の最後のルーティン。それは焼きたての食パンを齧りながら今日はこれから何をしようか決めること。今日の約束を決めるこの時間に五条はいつも年甲斐もなくわくわくするのだ。
「恵、おはよ」
 やっとゆっくりとベッドルームから出てきた伏黒にそう言えば、欠伸を噛み殺した伏黒が眠たそうに目を擦りながら言う。
「…はよ、ございます。…朝食も、ありがとうございます」

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そのくらいの我儘、
2020か21くらいのおめぐ誕

 昔から欲しいものを聞いても特にないと答える子だった。それでも何かないかと無理矢理聞き出して、やっと強請るものといえば食事に行きたいだのなんだのと形に残らない一度限りのものばかりであった。それは姉の津美紀に聞いても同じ答えで、失くなることをよく知っている子供たちらしいといえばらしかった。こんな仕事をしているからこそ形に残る物の虚しさも切なさも五条はよく知ってはいるが、それにしても随分と欲のない子達だと思ったものだった。
 何年経ってもそれは変わらず、今年の誕生日も伏黒の答えは1つの迷いもなく「特にありません」だった。そう返されるのは分かってはいたのだけど、しかし何度同じやり取りをしても分かったとは返せないのも例年通り。じゃあ今日が終わるまでに何か考えといてよ、と運良く今日1日任務がなく座学のみの伏黒に告げたのは今朝のことであった。
「ねぇ、決まった?」
 五条の言葉に伏黒は少しだけ口を尖らせた。
 一日の授業が終わったあとも伏黒の後ろをついて回って部屋にまで上がり込んだ五条に、伏黒は何も言わなかった。何も言われないのをいい事にずっと横に張り付いていたのだけれど、なんとなしにそのままお互い夕食を摂って風呂に入ってソファでだらけ始めても伏黒は欲しいものだけは言わなかった。伏黒が自身の分と合わせて用意してくれた砂糖多めの珈琲を啜りながらあと数時間となってしまった時計の文字盤を見る。夕食も摂ってしまったし今更どこかに食べに行くでもあるまい。決まりきらなくて後日になっても五条としては一向に構わないけれど。
「ねぇ、」
 つんと口を尖らせたままの伏黒にもう一度声をかければ、やっとこちらを向いた伏黒と目が合う。開いた口を閉じて伏黒の次の動きを待っていれば、静かに手が伸びてくる。じっと伏黒の瞳を見つめたまま伏黒のすることを見守っていればかけていたサングラスをするりと外された。途端に明るくなる視界。次に何があるのか、分からないほど初心でもないし、浅い付き合いでもない。珍しいな、と思いながらそのまま寄せられた伏黒の唇を受けとめる。慣れないことへの緊張か、やけに熱くてかさついた唇だった。
「……めずらし」
「…プレゼント、」
 目じりと耳を赤くした伏黒が言う。
「これだけで、いいです」
 手に持ったままのサングラスのテンプルを掴む手には離したくないとでも言うように少し力が込められていて、でも目線はもう五条から逸らされていた。赤い耳が、よく見える。
「キスだけ?しかも1回?」
 五条の言葉に頷く伏黒は、やはりまだ手を離さない。五条からしたら小さい手に、自分の手を重ねる。指先は少しだけ冷たかった。
 キスなんて誕生日じゃなくても、何も無い日でもあげてるのに、とは言えなかった。
「まだ時間あるよ。他には?」
 昔から欲のない子だった。それはただ欲しい物が、求めていることがないのではない。失うことを知っているからこそ、だからこそ求めることをやめたが故の無欲であった。大事なものといつまでも一緒にいられないことを、よく知っているが故の無欲だ。それは諦めとよく似ている。
「……じゃあ、」
 伏せられた伏黒の睫毛が震えた。我儘も欲の一つ、伏黒が苦手なもの。一緒にいて、くらい言ってくれてもいいのに人はいなくなることをよく知っている伏黒は言わない。言えたとしても小指の先くらいの願いしか言えないのだ。
「日付変わるまで、一緒にいてくれたら…」
 日付が変わるまであと数時間。いつまで経ってもこの子は無欲な子であった。
 そんなのいつだって言っていいのに、とは五条もよく知っているから言えなかった。けれど口に出すことは悪いことではないよ、そう言ってやればこの子はどんな顔をするのだろう。

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長い夜

 昔からあまり眠らなくても平気だった。人よりずっと少ない睡眠時間でも困ることは無かったし、1日くらいは寝なくても平気だったし、眠いと思ったこともそれほど無い。だから夜はただ退屈で長いだけの、暇を潰すのに苦労する時間でしかなかった。借りてきた映画をぼんやりと眺めて台詞を右から左に流すだけの時間も何度過ごしたか分からない。今でも夜は退屈な時間であることに変わりはないのだけど、しかし最近は少しだけ悪くないと思えるようになった。
「よく寝てる」
 高専に帰る気分になれない日、面倒な日、現場に向かうのに都合がいい時やら、寝るためだけに帰る部屋がある。その部屋のベッドに伏黒がたまに寝に来るようになったのはここ1年の話だ。特に五条に連絡もなく勝手に訪れては男2人が一緒に寝ても十分なサイズのベッドで勝手に寝ている。きっと五条がここに来ない日にも伏黒は広すぎるベッドの上で丸くなって1人で眠りこけているのだろう。お互いいつここに来るかは決めていないし、伝えることが決まりでもない。だから相変わらず夜は五条にとって退屈で長いだけの時間だが、たまにその夜に伏黒が寝ていると途端に退屈な筈の夜はそうではなくなる。
 五条と違ってよく眠る伏黒は1度熟睡するとなかなか起きない。五条が伏黒の横に潜り込んでも起きないし、飽きるまで髪を梳いても起きない。それにも飽きてやっと寝て、そして五条が起きてからやっと伏黒も起き出すのだ。
 なんとなく、伏黒とただベッドに潜り込む日はいつもより眠りが深くて長く眠れるような気がする。もしかしたら伏黒の寝たがりが移るのかもしれない、なんてことも思う。
 静かな寝息を立てる伏黒の隣に潜り込み、腕を回せば生きている温もりが五条の冷えた手のひらを暖めた。

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深爪、ダメ絶対

「ちょっと恵、なにやってんの」
「…何って、爪の手入れ…」
 五条の言葉に伏黒は素直に首を傾げた。五条の部屋で爪を切るのがいけなかったのか、とも考えるが今まで五条の部屋で伏黒が何かをして叱られたことがあっただろうか。人の沸点はどこにあるか分からないな、等と考えながら途中までしか爪にやすりをかけられていないが仕方なくソファから立ち上がった。大して物のない部屋だから大抵のものは部屋の角に置かれた少し大きめのチェストの中にある。爪やすりもそこにあった。
 しかしチェストに向かう伏黒の腕を不意に五条が掴んだ。そして指先を見るなり「うわ、思ったより短くなってる!」と叫ぶ。
「そりゃそうでしょう」
「なんで〜!?長いよりは短い方がいいけど深爪しろとは言ってない!」
「…はぁ、そうですか」
 何をそんなに嘆いているのかは分からないが、五条はすっかり短くなって柔い指先だけが触れるようになった伏黒の手を寂しそうに撫でている。その五条の手は今の伏黒より深爪しているのに。
「でも、そっちも深爪してるじゃないですか」
「僕はいいんだよ。恵の為だし」
「俺のため…?」
「傷つけないため」
 どこを、と聞く前に指を2本立てて曲げて見せた動きにようやく察する。品のないジェスチャーで五条の深爪の理由を今更知った伏黒に、声を上げて五条が笑う。かっと耳が熱を持つ。
 が、五条がそういうことなら伏黒が爪の手入れをするのだってある意味似たような理由だ。どうやら伏黒は五条との行為の最中に背中によく爪を立ててしまうらしい。らしい、というのは伏黒自身にその自覚が全くないからなのだが何故自覚がないのかは敢えて割愛する。ともかく、数日前に偶然見た五条の背中は猫の引っかき傷のようなものが見事に付いていて、爪を立てた自覚はなくとも背中に腕を回した自覚はあるので犯人が自分であるのは察してしまったのだ。だから今夜のことを見越して五条が風呂に入っている間に爪の手入れをしたわけなのだが。耳の熱が頬にも伝播して、その熱い頬を五条の指がつつく。
「そんな爪にしたら僕の背中が綺麗なままじゃん。キスマ代わりなんだから駄目だよ」
「……は…!?」
 頬をつついていた五条の指が今度は伏黒の背中を撫で上げた。伏黒が付ける傷と同じ場所を、分からせるようにゆっくりとなぞる。ぞくぞくと背筋を駆け上がるものに、伏黒の綺麗に手入れされた左手とされてない右手が震えた。
「恵、真っ赤でかわい」
 五条の指先の動きを感じながら言われたことを反芻した伏黒は更に耳に、頬に熱が集まるのを感じた。きっと首まで赤いに違いない。撫でられる感覚とは別の意味で。

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危機感

「あんたさ、少しは危機感持った方がいいわよ」
 五条を待つ教室で釘崎が唐突に言い放った。伏黒と釘崎の間に挟まれている虎杖は五条がまだやってこないのをいい事に机に突っ伏して寝ている。
「何でだよ」
 伏黒の言葉に退屈そうに頬杖をついていた釘崎はちらりとこちらを見た。すっかり見慣れてしまったあまり機嫌の宜しくない時の顔だ。眉間に皺は寄っていなくても口がへの字に曲がっていて、少なくとも上向きのテンションではない。
「自分で思ってるより、伏黒って人よりズレてんのよ。見ててウザったらしいったらないわ」
「…そうか?」
「そうよ」
 もう授業が始まる時間になって5分はすぎた。若干の遅刻は当たり前なので、あともう数分でやってくるだろう。それが分かっていながらもちゃんと授業が始まる前にはちゃんと3人揃って机に座っているのだから、律儀と言うべきか。
 釘崎の急な指摘にどうしたものかと思いながらも、五条が来ないことには授業も始まらず暇ではあるので続きを促す。
「一応聞いとくけど、どこが?」
 ふん、と鼻を鳴らして細い指を1つ立てた。
「あいつとどんだけ付き合い長いか知らないけど、普通はお互いの味の好みなんてそこまで知らない」
 2つ目を立てた。
「教師が大体どの辺でサボってるかも普通は細かく把握してない」
 3つ目。
「そんなしょっちゅう電話とかしない。3ヶ月先のスケジュールも把握してない」
 4つ目5つ目と指を立てては畳んで、それが1往復した頃。とうとう伏黒は静止するように手のひらを掲げた。続きを促してしまったことを後悔してももう遅い。
「分かった、分かったからやめてくれ…」
 伏黒にとって最早日常となっていたことは傍から見たらこんなにもおかしく映っていたのかと、いたたまれなくなる。耳がじんわりと熱を持つ。慣れとは恐ろしい。
「…んで、」
 釘崎が指折り数えていた指をまた一つだけにして、伏黒を指さした。
「パーソナルスペースが崩壊してる」
「だってさ、恵」
 語尾にハートマークでも付いているのではないかという聞き慣れた声が耳元でして、背筋が粟立つ。思わず椅子から立ち上がった拍子に大きな音が響いて、その音で虎杖が目を覚ました。咄嗟に叫ばなかったことを、誰か褒めてくれ。なんてことすら思う。
「あ、先生来た」
「おせーよ」
 釘崎の言葉が教室の片隅に落っこちた。

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こたつみかん

 みかん食べる?と聞けば起きているんだか寝ているんだか分からない声で「ん」と言った。半分寝ぼけている恵は簡単な敬語すら忘れて途端に幼くなる。ん、だなんて普段は絶対言わないのに。
「寝るなら食べてからにしなよー」
 YESの返事を貰ったことにして、こたつの上に定番よろしく置かれたみかんを一つ手に取る。悟が食べる分には適当に剥いて中の白い筋ごと二口で食べてしまうのだが、恵は丁寧に白い筋を取ってからひと房ずつ食べる。小さい口にひと房ずつみかんを放り込んでいく姿が小さい動物みたいで可愛いのだが、暖かいこたつの中で今にも寝落ちそうな恵は深く考えることもせずに悟の手から食べるから尚のこと可愛いのだ。うさぎの餌付け、のような。
 ちまちまと筋を取りながら欠伸すらせずに船を漕ぎ始めている恵を見れば、もう目は殆ど開いていない。昔からよく寝る子ではあったが、こたつの魔力とは恐ろしい。
 すっかり筋の取れて綺麗なオレンジが顕になったみかんを恵の口元に持っていく。
「あーん」
「……ん、」
「美味しい?」
 悟の問いにまたしても起きているのか寝ているのか分からない頭の揺れでもって答えてくれた。寝る子は育つ、とはよく言ったもので今年も無事にこたつに篭ってみかんの餌付けが出来て悟はひっそりと微笑んだ。
 次のもう1粒を口元へとやれば、やはり口が開くのだった。

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喧嘩

 喧嘩をした。喧嘩と呼ぶのもなんだか情けないくらい、くだらない喧嘩だ。こんなことでいらいらして怒って部屋を飛び出して、折角の休みなのに昼間から自分の部屋のベッドの上で寝転びぼんやりとしている。五条が休みを取れるなんて珍しいこと。更にその休みが伏黒と重なるなんてもっと珍しいこと。顔を合わせることは出来ても、ゆっくりした時間を過ごすことは存外難しい。そんな貴重な一日だった筈なのに。伏黒は窓から差し込む太陽の眩しさに目を閉じた。
 こんなことなら、たかが珈琲に入れる砂糖の数くらい好きにさせればよかった。毎回ばかみたいに入れるから角砂糖の減りが早いとか、健康に悪いとか、そんなのは所詮建前で本当はちょっとだけ嫉妬したのだ。伏黒が止めるのも無視して好きだからと手に取ってもらえて、伏黒だって本当に五条のことが好きだから想って言っているのに、それでも五条は角砂糖を取る。なんて小さい心なんだと呆れるが、けれど伏黒はあの角砂糖達が妬けるほど羨ましかったのだ。あの瞬間だけ、五条は伏黒よりたかが砂糖を大事にするのだから。だからちょっとだけ意地になってきつく言ってしまって、売り言葉に買い言葉。何となく今日はお互いそういうスイッチが入ってしまって、最終的には伏黒が五条の部屋を飛び出して1人で自室に戻ってきた。人の少ない廊下を足早に歩きながら頭は少しずつ冷静になって、部屋に着いた頃にはもうすっかり後悔だけが胸に残っていて。
 そして今更ごめんなさいと言って戻るにしてもタイミングも分からなくなり、今こうして貴重な休みの昼間にベッドの上でだらけている。暖かい日差しが差し込んで、外は眩しくて。なんだか虚しいな、と思いながら伏黒は1度欠伸を零した。


 ぱち、と目を覚ますと窓の外は暗くなっていた。気がついたら寝落ちていたようで、眩しかった日差しはとっくに隠れてしまっていた。もう今日も終わりが近い。結局五条と喧嘩みたいなことになって休みが終わってしまったことに、やっぱり伏黒は遅すぎる後悔をする。次なんてあるかも分からないのにこんなことで時間を浪費してしまうなんて。
「あ、起きた」
 霞む目を擦りながらベッドから身を起こすと聞き慣れた声がした。
 いつからいたのか、ベッド脇に腰掛けた五条がそこにいた。伏黒が身体を起こしたことで近付きよく見えた五条の顔はなんだか少しだけ疲れている。なんでいるんですか、とか勝手に入ってこないでください、とか言おうと思えばいくらでも出てくる筈の悪態はすっかり引っ込んでしまって、自然と零れたのは「ごめんなさい」だった。
 その言葉に目を伏せて五条が小さく笑う。
「…それはこっちの台詞だよ。なんかちょっと、ムキになっちゃった。…たかが砂糖なのにね」
 五条の腕が伸びてきて、少しの躊躇いを乗せながら伏黒を抱きしめる。本当にいつからいたのだろう。五条の身体は少しだけ冷えていた。
「ごめんね恵。折角の休みなのに台無しなことした」
 ごめんね、その言葉に気分が少しだけ上向いて軽くなる。
「ねぇ、次からはもう砂糖は3個にする。だから仲直りして」
 たかが珈琲に入れる砂糖の数程度で2人して神妙な顔をしてごめんなさいなんて言って。馬鹿みたいだ。馬鹿みたいで笑えてしまう。ああ、本当に今日は勿体ない時間の使い方をした。真面目な顔をして砂糖の数で仲直りの打診をする姿なんて、きっと他人が見たらあまりのくだらなさに指を指すだろう。でも、そのくだらなさで虚しかった今日が有意義になる。
「…なんですか、3個って」
 笑えば、五条はだってもうこんな喧嘩したくないからと言った。

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性欲

 性欲なんてない、なんて顔をしているこの子供にそれを教えたのは自分だ。普通の生き方を知らないこの子に、普通では無いことを教えこんだのだ。罪悪感がないと言えば嘘になるが、けれどこの瞬間だけは罪悪感より背徳感が勝る。ごめんね、なんて言ってもきっと意味なんてない。
「なに、言ってくれないと分かんないよ」
 五条の言葉に唇を引き結んだ伏黒が視線で訴えかける。弱々しく五条の人差し指を握る手は緊張か照れか酷く熱を持っていた。大人の誘い方なんて、この歳で知る必要のないことなのに知っている。知っているけれど羞恥が勝る。そのバランスが堪らなかった。
 伏黒の手から指を引き抜き、僅かに震える手を絡め取る。指と指が交差して、深く密着する。そのまま指の腹で甲を撫で、時折爪を立てると伏黒の目じりが赤く染まった。
「ね、教えて」
 伏黒の瞳が揺れた。涙の膜の張った瞳が揺れて、それから五条の視線から逃れるように伏せられる。
「…ごじょう、さん」
 伏黒が先生と呼ばない時は、教師と生徒という関係を逸脱したことをしたい時だ。生きるために必要なことを教える隙間に、知らなくてもいいことを刷り込まれる。こんなどうしようも無い大人を愛してしまったばかりに。ごめんね、愛してるよ。なんて言っても今更すぎて意味などないのだけど。

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薬指
野薔薇ちゃん死ぬ前に書いた死ネタ

 虎杖達が急いで任務を終わらせて駆けつけた時には、もう伏黒はすっかり身体を綺麗にされて霊安室に置かれていた。呪術師にしては珍しく顔も残っていて五体も残っていて、傍から見たら寝ているだけにしか見えない程に美しい遺体だった。ひやりとした霊安室の中で眠る伏黒はそれにも負けないくらい冷たくなっていて、彼が二度と目覚めないことを虎杖にも釘崎にも良く教えてくれた。
 何故こうも彼の遺体が美しいのかといえば、それは五条も同行していたからだ。あんたがいながらなんで伏黒が死んだのよ、と叫ぶ釘崎に五条は言う。「同じ任務についてても常に面倒を見れるわけじゃない。恵も大人だし、そんな大人の面倒を見るほど暇じゃない」その言葉に釘崎は悔しげに舌打ちを零して霊安室を飛び出していったが、虎杖だけはそこに残った。
「さっき家入先生から聞いたんだけどさ、」
 ちらりと五条の顔を見る。目隠しに覆われて悲しんでいるのか何も感じていないのかは分からないけれど、一応この2人が恋仲であったことは虎杖も釘崎も知っていた。だから釘崎は五条に掴みかかったし、虎杖もこんなことを聞くのだ。
「伏黒の薬指だけ見つかってないんだって。左手の。先生知らない?」
 その虎杖の言葉にうぅん、と唸って五条はわざとらしく顎に手を置いた。
「さぁ?僕が見た時にはなかったし、どっかの呪いが指フェチだったんじゃない?」

____

 五条が自分の持ち場を片付けて伏黒の元に向かった時、既に伏黒は地面に倒れていた。最後に残ったのであろう呪霊が伏黒の頭を噛み砕こうとしていたが、直ぐに消し飛ばしてしまったのでそれがどんな呪霊なのかも伏黒の死因も分からなかった。けれど随分と綺麗な遺体だった。まるで眠っているような。死んでそう時間が経っていないのだろう、既に溶けて形を失いかけた玉犬が1人で鳴いていた。
 それを見て悲しい、よりも1番に頭をよぎったのは「彼の遺言を守らねば」だった。


 伏黒が高専を卒業した日、伏黒の住む部屋へと訪れた五条は祝いにと指輪を渡した。こんな明日が不安定な仕事で形に残るようなものを渡すのは愚かとしか言いようがないが、それでも何かを渡したかった。五条の愚かしいエゴだ。しかしそれを二つ返事で受け取った伏黒は薬指に嵌めたそれを撫でながら言った。
「俺が死んだら、絶対にこれ回収してくださいね」
「なんでよ、あげたんだから死んでも返品不可だよ」
「俺からの一世一代の愛の告白だと思って」
「返品が?」
「そうです」
 五条から受け取ったそれを、安い蛍光灯の明かりに翳して伏黒は穏やかに微笑んでいた。死後の話なんてしているとは思えないほどに。
「まぁ、そうですね、よく煮て出汁を取るでもいいし、何かしらの方法で保存してもらうでもいいですし、庭先に埋めてくれるんでもいいです」
 五条を置いてきぼりにして伏黒は淡々と言い切ると、それで満足したように翳していた手を降ろした。
「いまいち話が見えないんだけど」
「俺が死んだら分かりますよ。俺からの最大級の告白です」
 指輪、ありがとうございます。伏黒はそう言ってまた大事そうに左手の薬指の付け根を撫でたのだった。


 さて、彼は昔から言えない言葉の多い子供であった。今こうして、津美紀と違って永遠に目覚めない物言わぬ眠り姫となってしまったのも、助けての一言が言えないからだ。
 少しづつ我儘を言えるように育ててきたつもりではあったけれど、それでも終ぞ伏黒が言えなかったのは助けてと、約束と、願いであった。明日デートしよう程度の約束すら言えず、これからの願いすら言えない子だった。そんな子が、あの日五条に伝えた遺言の意味をやっと知る。
「なるほどね。いじらしい事するじゃない」
 伏黒の指から指輪が抜けることはなかった。

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ホットケーキ

 「ホットケーキが食べたい」恵がそう言う時は決まって疲れに疲れて、沈みきっている時だ。高専に来る前は夜中にいきなり電話をしてきたこともあったし、恵が住んでいたアパートに訪れた時に急に言われたこともあった。高専に来てからはぱたりと落ち着いてしまって寂しい限りではあったけれど、しかしそれは不意にやってきた。
 最後に恵が悟の作ったホットケーキを食べたのはいつだったか。生徒寮に引っ越す前日だろうか。久しぶりに訪れた日とはいえ、ちゃんと自室にホットケーキミックスとその他材料を用意してあるあたり慣れとは恐ろしい。滅多に使うことの無いキッチンにちゃんと調理器具があるのも、この日の為だった。
「トッピングは?」
「…メープルシロップと、バター」
「了解」
 油の引いたフライパンに生地を流し込めば甘い匂いと共に油の跳ねる音がした。こんがりと美味しい色に焼けるよう、タイミングは逃さないように。久しぶりのホットケーキに、柄にもなく少しだけ緊張した。
 このホットケーキは、小さい時に恵が津美紀によく作ってもらっていたものだ。何か嫌なことがあった日、落ち込んだ日、泣きたい日、とにかく気分が沈んでしまった時に顔に出ない恵の変化に気付いては安いホットケーキミックスでもってホットケーキを焼いていた。シンプルにメープルシロップとバターが乗っかった、絵に書いたようなホットケーキ。何度か恵がそのホットケーキを食べている現場に出くわしたことがあるが、初めの頃は生焼けだったり崩れていたりと不格好だったそれは、恵が中学に上がった頃には随分と上手くなっていた。実質悟がホットケーキを作ってやったのは恵が中学三年になってからの1年くらいしかないが、その1年はよく食べていたと思う。最初は悟から食べようと持ちかけて、やがて恵から食べたいと言い出すようになったのだ。
「はい、悟さん特製ホットケーキ!」
 じゃーん!なんて効果音を付けてテーブルに置けば、ソファの上で静かにしていた恵の目がホットケーキを捉えた。ぱちぱちと、長い睫毛が音もなく上下してまん丸に焼けたホットケーキを見つめる。じわりとバターが溶けて滑る。
「…いただきます」
「召し上がれ」
 きっと津美紀が作ったホットケーキに比べたら天と地ほども違うのだろうが、恵は食べるといつも少しだけ目じりが柔らかくなる。小さい頃に津美紀が作った不格好なホットケーキを食べた時と同じように。
 何があったかなんて聞かない。津美紀も何があったのか恵に聞いたことはなかったし、悟も聞く気はなかった。どうしても話したそうな顔をしているのなら別だが、そんな顔をしている方が稀だ。
 人間誰だって、意味もなく気分が沈む日はある。
 恵が食べている横から自分のナイフで一欠片切り取る。行儀が悪いのは知っているが、ナイフの先で刺して持ち上げて一口食べれば懐かしい味がした。

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ハンドクリーム
まだ詳細な調伏の流れとかいつからごじょの任務について行ってたのか判明してなかった頃に書いたやつ

 冬になると決まって缶のハンドクリームを持って伏黒の元へやってくる。毎年缶の絵柄も中身も違うそれは、五条が持ってくる度に初めての香りでもって伏黒の手を包んだ。
 小学三年生辺りだろうか。伏黒がようやっと玉犬を当たり前に呼べるようになって飼い慣らし始めた頃、五条は幼いながらに荒れた伏黒の手を見て言ったのだ。恵は手を使うんだからもっと大事にしないと、と。親のいない自分たちはできる家事は自分でしなくてはならない。それも相まっていつも自分たち姉弟の手は荒れ放題だった。それから五条が手土産にハンドクリームを持ってきたのはすぐのことだった。
「ハンドクリームくらい、もう自分で塗れますよ」
 つむじを眺めながらの伏黒の言葉に、五条は上機嫌に鼻歌を歌いながら手を動かすだけで答えない。ソファに腰掛ける伏黒の為にわざわざカーペットの上に座って、ひたすらに伏黒の手にクリームを塗り込んでいく。
 五条の大きな手がクリームを纏って伏黒の手を包む。手のひら、甲、指の股から指先、手首まで。ひたすらに往復して、時折爪にも爪の際にも塗り込まれるその動きにいやらしさなんてものは全くなくて、ただ伏黒の為だけに動いている。
「恵ってさ、冷え性じゃん」
「まぁ、そうですね」
「手を大事にしてほしいってのもあるんだけどさ、いつも冷たいから」
 あっためてあげたくて。
 昔から子供みたいな体温の手が、冷たい伏黒の指先を温める。ふわりと柔らかく香るレモンと、五条との境が曖昧になる手のひら。とっくに1人でハンドクリームくらい塗れるのだけど、そんなことを言われてしまったらもうそんなことは言えなくなってしまった。五条がこうして冬になる度に甲斐甲斐しく伏黒の手にハンドクリームを塗り込み、芯まで冷えた指先に温もりを与えてくれる。それが存外好きで、冷え性も悪くないな、なんて思っているのだから。

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呼び声

 小さい頃、自分たち姉弟を見て五条が大きく手を振ってくるのが嫌だった。ただでさえ大きな体で大きく手を振って、ただでさえ目立つ人間が更に目立つ。でも姉は目印になってくれる五条に駆け寄るから一緒に行くしかなかった。中三の夏前には、そうして手を振って呼ばれるようなことはなくなったのだが。
 けれどそんな五条が手を振っていた。どこだかよく分からない浅い川の真ん中に立つ伏黒に向かって、よく知った笑顔でもって手を振っていた。足首までしかない広い川の片側には五条が手を振って待っていて、もう片側には誰もいなかった。何故川にいるのかも、ここが何処なのかも分からなかったが立ち尽くしたままではいけないことだけは分かる。どちらかに行かねばならなかった。
小さい頃はこうして伏黒達を呼ぶのが嫌だった。津美紀がいない今、無視して反対側に行ってもよかったのだが、その時はなんとなく呼ばれるままに五条の方に行こうと思った。
 水を跳ねさせながら進む川の向こうではまだ五条が伏黒を呼んでいた。


「おはよ」
「……はよ、ございます」
 目を開けるとベッド脇に腰掛けた五条が見下ろしていた。視線を動かしながら今いる場所となぜ寝ているのかを思い出す。見慣れた医務室、薬品の匂い、痛む身体、目覚めるのを待っていた五条。
「呪いは、」
「祓っといたよ」
「…ありがとうございます」
 任務で失敗したのだ。本来なら伏黒1人で足りる筈の任務。伝えられていた等級と現実は違った。それを言い訳の理由にしていいわけではないが、伏黒1人で足りる筈だった任務はそうではなかった。不甲斐ない、と思う。死にかけて結局五条に後始末をしてもらった。
 そして、呼んでもらった。
「三途の川って本当にあるんですね」
 痛む体はまだ動かせないけれど、視線だけで五条の手元を見る。この手が川の真ん中に立つ伏黒を呼んでいた。懐かしさすら感じるほどに。もしも伏黒があの五条を無視して反対側に渡っていたらこうして目覚めることはなかったのかもしれない。本当に五条が呼んでくれたのか、伏黒が生きたいと思ったから都合よく幻が現れたのか、真実は分からないけれど。
「へぇ、迷わず帰ってこれたんだ」
 姉弟を呼ぶ時、まだ背丈もそれほどなかった自分たちの為に決まって五条は目印になるように大きく手を振っていた。津美紀、恵、と名前まで呼んで。いるだけで目立つのにさらに目立って本当は嫌だったのだけど。
「…あんたが、呼んでたから」
 目隠しで見えないけれど、五条の目が柔く緩められた気がした。
「まだ恵と一緒にいたいって思ったからかな」

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恵の部屋で(R18)
自カプを数字で

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