薄明

ごじょうさとる×ふしぐろめぐみ
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ホットケーキ

 「ホットケーキが食べたい」恵がそう言う時は決まって疲れに疲れて、沈みきっている時だ。高専に来る前は夜中にいきなり電話をしてきたこともあったし、恵が住んでいたアパートに訪れた時に急に言われたこともあった。高専に来てからはぱたりと落ち着いてしまって寂しい限りではあったけれど、しかしそれは不意にやってきた。
 最後に恵が悟の作ったホットケーキを食べたのはいつだったか。生徒寮に引っ越す前日だろうか。久しぶりに訪れた日とはいえ、ちゃんと自室にホットケーキミックスとその他材料を用意してあるあたり慣れとは恐ろしい。滅多に使うことの無いキッチンにちゃんと調理器具があるのも、この日の為だった。
「トッピングは?」
「…メープルシロップと、バター」
「了解」
 油の引いたフライパンに生地を流し込めば甘い匂いと共に油の跳ねる音がした。こんがりと美味しい色に焼けるよう、タイミングは逃さないように。久しぶりのホットケーキに、柄にもなく少しだけ緊張した。
 このホットケーキは、小さい時に恵が津美紀によく作ってもらっていたものだ。何か嫌なことがあった日、落ち込んだ日、泣きたい日、とにかく気分が沈んでしまった時に顔に出ない恵の変化に気付いては安いホットケーキミックスでもってホットケーキを焼いていた。シンプルにメープルシロップとバターが乗っかった、絵に書いたようなホットケーキ。何度か恵がそのホットケーキを食べている現場に出くわしたことがあるが、初めの頃は生焼けだったり崩れていたりと不格好だったそれは、恵が中学に上がった頃には随分と上手くなっていた。実質悟がホットケーキを作ってやったのは恵が中学三年になってからの1年くらいしかないが、その1年はよく食べていたと思う。最初は悟から食べようと持ちかけて、やがて恵から食べたいと言い出すようになったのだ。
「はい、悟さん特製ホットケーキ!」
 じゃーん!なんて効果音を付けてテーブルに置けば、ソファの上で静かにしていた恵の目がホットケーキを捉えた。ぱちぱちと、長い睫毛が音もなく上下してまん丸に焼けたホットケーキを見つめる。じわりとバターが溶けて滑る。
「…いただきます」
「召し上がれ」
 きっと津美紀が作ったホットケーキに比べたら天と地ほども違うのだろうが、恵は食べるといつも少しだけ目じりが柔らかくなる。小さい頃に津美紀が作った不格好なホットケーキを食べた時と同じように。
 何があったかなんて聞かない。津美紀も何があったのか恵に聞いたことはなかったし、悟も聞く気はなかった。どうしても話したそうな顔をしているのなら別だが、そんな顔をしている方が稀だ。
 人間誰だって、意味もなく気分が沈む日はある。
 恵が食べている横から自分のナイフで一欠片切り取る。行儀が悪いのは知っているが、ナイフの先で刺して持ち上げて一口食べれば懐かしい味がした。

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