薄明
ごじょうさとる×ふしぐろめぐみ
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2023年9月6日の投稿[23件]
深爪、ダメ絶対
「ちょっと恵、なにやってんの」
「…何って、爪の手入れ…」
五条の言葉に伏黒は素直に首を傾げた。五条の部屋で爪を切るのがいけなかったのか、とも考えるが今まで五条の部屋で伏黒が何かをして叱られたことがあっただろうか。人の沸点はどこにあるか分からないな、等と考えながら途中までしか爪にやすりをかけられていないが仕方なくソファから立ち上がった。大して物のない部屋だから大抵のものは部屋の角に置かれた少し大きめのチェストの中にある。爪やすりもそこにあった。
しかしチェストに向かう伏黒の腕を不意に五条が掴んだ。そして指先を見るなり「うわ、思ったより短くなってる!」と叫ぶ。
「そりゃそうでしょう」
「なんで〜!?長いよりは短い方がいいけど深爪しろとは言ってない!」
「…はぁ、そうですか」
何をそんなに嘆いているのかは分からないが、五条はすっかり短くなって柔い指先だけが触れるようになった伏黒の手を寂しそうに撫でている。その五条の手は今の伏黒より深爪しているのに。
「でも、そっちも深爪してるじゃないですか」
「僕はいいんだよ。恵の為だし」
「俺のため…?」
「傷つけないため」
どこを、と聞く前に指を2本立てて曲げて見せた動きにようやく察する。品のないジェスチャーで五条の深爪の理由を今更知った伏黒に、声を上げて五条が笑う。かっと耳が熱を持つ。
が、五条がそういうことなら伏黒が爪の手入れをするのだってある意味似たような理由だ。どうやら伏黒は五条との行為の最中に背中によく爪を立ててしまうらしい。らしい、というのは伏黒自身にその自覚が全くないからなのだが何故自覚がないのかは敢えて割愛する。ともかく、数日前に偶然見た五条の背中は猫の引っかき傷のようなものが見事に付いていて、爪を立てた自覚はなくとも背中に腕を回した自覚はあるので犯人が自分であるのは察してしまったのだ。だから今夜のことを見越して五条が風呂に入っている間に爪の手入れをしたわけなのだが。耳の熱が頬にも伝播して、その熱い頬を五条の指がつつく。
「そんな爪にしたら僕の背中が綺麗なままじゃん。キスマ代わりなんだから駄目だよ」
「……は…!?」
頬をつついていた五条の指が今度は伏黒の背中を撫で上げた。伏黒が付ける傷と同じ場所を、分からせるようにゆっくりとなぞる。ぞくぞくと背筋を駆け上がるものに、伏黒の綺麗に手入れされた左手とされてない右手が震えた。
「恵、真っ赤でかわい」
五条の指先の動きを感じながら言われたことを反芻した伏黒は更に耳に、頬に熱が集まるのを感じた。きっと首まで赤いに違いない。撫でられる感覚とは別の意味で。
畳む
「ちょっと恵、なにやってんの」
「…何って、爪の手入れ…」
五条の言葉に伏黒は素直に首を傾げた。五条の部屋で爪を切るのがいけなかったのか、とも考えるが今まで五条の部屋で伏黒が何かをして叱られたことがあっただろうか。人の沸点はどこにあるか分からないな、等と考えながら途中までしか爪にやすりをかけられていないが仕方なくソファから立ち上がった。大して物のない部屋だから大抵のものは部屋の角に置かれた少し大きめのチェストの中にある。爪やすりもそこにあった。
しかしチェストに向かう伏黒の腕を不意に五条が掴んだ。そして指先を見るなり「うわ、思ったより短くなってる!」と叫ぶ。
「そりゃそうでしょう」
「なんで〜!?長いよりは短い方がいいけど深爪しろとは言ってない!」
「…はぁ、そうですか」
何をそんなに嘆いているのかは分からないが、五条はすっかり短くなって柔い指先だけが触れるようになった伏黒の手を寂しそうに撫でている。その五条の手は今の伏黒より深爪しているのに。
「でも、そっちも深爪してるじゃないですか」
「僕はいいんだよ。恵の為だし」
「俺のため…?」
「傷つけないため」
どこを、と聞く前に指を2本立てて曲げて見せた動きにようやく察する。品のないジェスチャーで五条の深爪の理由を今更知った伏黒に、声を上げて五条が笑う。かっと耳が熱を持つ。
が、五条がそういうことなら伏黒が爪の手入れをするのだってある意味似たような理由だ。どうやら伏黒は五条との行為の最中に背中によく爪を立ててしまうらしい。らしい、というのは伏黒自身にその自覚が全くないからなのだが何故自覚がないのかは敢えて割愛する。ともかく、数日前に偶然見た五条の背中は猫の引っかき傷のようなものが見事に付いていて、爪を立てた自覚はなくとも背中に腕を回した自覚はあるので犯人が自分であるのは察してしまったのだ。だから今夜のことを見越して五条が風呂に入っている間に爪の手入れをしたわけなのだが。耳の熱が頬にも伝播して、その熱い頬を五条の指がつつく。
「そんな爪にしたら僕の背中が綺麗なままじゃん。キスマ代わりなんだから駄目だよ」
「……は…!?」
頬をつついていた五条の指が今度は伏黒の背中を撫で上げた。伏黒が付ける傷と同じ場所を、分からせるようにゆっくりとなぞる。ぞくぞくと背筋を駆け上がるものに、伏黒の綺麗に手入れされた左手とされてない右手が震えた。
「恵、真っ赤でかわい」
五条の指先の動きを感じながら言われたことを反芻した伏黒は更に耳に、頬に熱が集まるのを感じた。きっと首まで赤いに違いない。撫でられる感覚とは別の意味で。
畳む
危機感
「あんたさ、少しは危機感持った方がいいわよ」
五条を待つ教室で釘崎が唐突に言い放った。伏黒と釘崎の間に挟まれている虎杖は五条がまだやってこないのをいい事に机に突っ伏して寝ている。
「何でだよ」
伏黒の言葉に退屈そうに頬杖をついていた釘崎はちらりとこちらを見た。すっかり見慣れてしまったあまり機嫌の宜しくない時の顔だ。眉間に皺は寄っていなくても口がへの字に曲がっていて、少なくとも上向きのテンションではない。
「自分で思ってるより、伏黒って人よりズレてんのよ。見ててウザったらしいったらないわ」
「…そうか?」
「そうよ」
もう授業が始まる時間になって5分はすぎた。若干の遅刻は当たり前なので、あともう数分でやってくるだろう。それが分かっていながらもちゃんと授業が始まる前にはちゃんと3人揃って机に座っているのだから、律儀と言うべきか。
釘崎の急な指摘にどうしたものかと思いながらも、五条が来ないことには授業も始まらず暇ではあるので続きを促す。
「一応聞いとくけど、どこが?」
ふん、と鼻を鳴らして細い指を1つ立てた。
「あいつとどんだけ付き合い長いか知らないけど、普通はお互いの味の好みなんてそこまで知らない」
2つ目を立てた。
「教師が大体どの辺でサボってるかも普通は細かく把握してない」
3つ目。
「そんなしょっちゅう電話とかしない。3ヶ月先のスケジュールも把握してない」
4つ目5つ目と指を立てては畳んで、それが1往復した頃。とうとう伏黒は静止するように手のひらを掲げた。続きを促してしまったことを後悔してももう遅い。
「分かった、分かったからやめてくれ…」
伏黒にとって最早日常となっていたことは傍から見たらこんなにもおかしく映っていたのかと、いたたまれなくなる。耳がじんわりと熱を持つ。慣れとは恐ろしい。
「…んで、」
釘崎が指折り数えていた指をまた一つだけにして、伏黒を指さした。
「パーソナルスペースが崩壊してる」
「だってさ、恵」
語尾にハートマークでも付いているのではないかという聞き慣れた声が耳元でして、背筋が粟立つ。思わず椅子から立ち上がった拍子に大きな音が響いて、その音で虎杖が目を覚ました。咄嗟に叫ばなかったことを、誰か褒めてくれ。なんてことすら思う。
「あ、先生来た」
「おせーよ」
釘崎の言葉が教室の片隅に落っこちた。
畳む
「あんたさ、少しは危機感持った方がいいわよ」
五条を待つ教室で釘崎が唐突に言い放った。伏黒と釘崎の間に挟まれている虎杖は五条がまだやってこないのをいい事に机に突っ伏して寝ている。
「何でだよ」
伏黒の言葉に退屈そうに頬杖をついていた釘崎はちらりとこちらを見た。すっかり見慣れてしまったあまり機嫌の宜しくない時の顔だ。眉間に皺は寄っていなくても口がへの字に曲がっていて、少なくとも上向きのテンションではない。
「自分で思ってるより、伏黒って人よりズレてんのよ。見ててウザったらしいったらないわ」
「…そうか?」
「そうよ」
もう授業が始まる時間になって5分はすぎた。若干の遅刻は当たり前なので、あともう数分でやってくるだろう。それが分かっていながらもちゃんと授業が始まる前にはちゃんと3人揃って机に座っているのだから、律儀と言うべきか。
釘崎の急な指摘にどうしたものかと思いながらも、五条が来ないことには授業も始まらず暇ではあるので続きを促す。
「一応聞いとくけど、どこが?」
ふん、と鼻を鳴らして細い指を1つ立てた。
「あいつとどんだけ付き合い長いか知らないけど、普通はお互いの味の好みなんてそこまで知らない」
2つ目を立てた。
「教師が大体どの辺でサボってるかも普通は細かく把握してない」
3つ目。
「そんなしょっちゅう電話とかしない。3ヶ月先のスケジュールも把握してない」
4つ目5つ目と指を立てては畳んで、それが1往復した頃。とうとう伏黒は静止するように手のひらを掲げた。続きを促してしまったことを後悔してももう遅い。
「分かった、分かったからやめてくれ…」
伏黒にとって最早日常となっていたことは傍から見たらこんなにもおかしく映っていたのかと、いたたまれなくなる。耳がじんわりと熱を持つ。慣れとは恐ろしい。
「…んで、」
釘崎が指折り数えていた指をまた一つだけにして、伏黒を指さした。
「パーソナルスペースが崩壊してる」
「だってさ、恵」
語尾にハートマークでも付いているのではないかという聞き慣れた声が耳元でして、背筋が粟立つ。思わず椅子から立ち上がった拍子に大きな音が響いて、その音で虎杖が目を覚ました。咄嗟に叫ばなかったことを、誰か褒めてくれ。なんてことすら思う。
「あ、先生来た」
「おせーよ」
釘崎の言葉が教室の片隅に落っこちた。
畳む
こたつみかん
みかん食べる?と聞けば起きているんだか寝ているんだか分からない声で「ん」と言った。半分寝ぼけている恵は簡単な敬語すら忘れて途端に幼くなる。ん、だなんて普段は絶対言わないのに。
「寝るなら食べてからにしなよー」
YESの返事を貰ったことにして、こたつの上に定番よろしく置かれたみかんを一つ手に取る。悟が食べる分には適当に剥いて中の白い筋ごと二口で食べてしまうのだが、恵は丁寧に白い筋を取ってからひと房ずつ食べる。小さい口にひと房ずつみかんを放り込んでいく姿が小さい動物みたいで可愛いのだが、暖かいこたつの中で今にも寝落ちそうな恵は深く考えることもせずに悟の手から食べるから尚のこと可愛いのだ。うさぎの餌付け、のような。
ちまちまと筋を取りながら欠伸すらせずに船を漕ぎ始めている恵を見れば、もう目は殆ど開いていない。昔からよく寝る子ではあったが、こたつの魔力とは恐ろしい。
すっかり筋の取れて綺麗なオレンジが顕になったみかんを恵の口元に持っていく。
「あーん」
「……ん、」
「美味しい?」
悟の問いにまたしても起きているのか寝ているのか分からない頭の揺れでもって答えてくれた。寝る子は育つ、とはよく言ったもので今年も無事にこたつに篭ってみかんの餌付けが出来て悟はひっそりと微笑んだ。
次のもう1粒を口元へとやれば、やはり口が開くのだった。
畳む
みかん食べる?と聞けば起きているんだか寝ているんだか分からない声で「ん」と言った。半分寝ぼけている恵は簡単な敬語すら忘れて途端に幼くなる。ん、だなんて普段は絶対言わないのに。
「寝るなら食べてからにしなよー」
YESの返事を貰ったことにして、こたつの上に定番よろしく置かれたみかんを一つ手に取る。悟が食べる分には適当に剥いて中の白い筋ごと二口で食べてしまうのだが、恵は丁寧に白い筋を取ってからひと房ずつ食べる。小さい口にひと房ずつみかんを放り込んでいく姿が小さい動物みたいで可愛いのだが、暖かいこたつの中で今にも寝落ちそうな恵は深く考えることもせずに悟の手から食べるから尚のこと可愛いのだ。うさぎの餌付け、のような。
ちまちまと筋を取りながら欠伸すらせずに船を漕ぎ始めている恵を見れば、もう目は殆ど開いていない。昔からよく寝る子ではあったが、こたつの魔力とは恐ろしい。
すっかり筋の取れて綺麗なオレンジが顕になったみかんを恵の口元に持っていく。
「あーん」
「……ん、」
「美味しい?」
悟の問いにまたしても起きているのか寝ているのか分からない頭の揺れでもって答えてくれた。寝る子は育つ、とはよく言ったもので今年も無事にこたつに篭ってみかんの餌付けが出来て悟はひっそりと微笑んだ。
次のもう1粒を口元へとやれば、やはり口が開くのだった。
畳む
喧嘩
喧嘩をした。喧嘩と呼ぶのもなんだか情けないくらい、くだらない喧嘩だ。こんなことでいらいらして怒って部屋を飛び出して、折角の休みなのに昼間から自分の部屋のベッドの上で寝転びぼんやりとしている。五条が休みを取れるなんて珍しいこと。更にその休みが伏黒と重なるなんてもっと珍しいこと。顔を合わせることは出来ても、ゆっくりした時間を過ごすことは存外難しい。そんな貴重な一日だった筈なのに。伏黒は窓から差し込む太陽の眩しさに目を閉じた。
こんなことなら、たかが珈琲に入れる砂糖の数くらい好きにさせればよかった。毎回ばかみたいに入れるから角砂糖の減りが早いとか、健康に悪いとか、そんなのは所詮建前で本当はちょっとだけ嫉妬したのだ。伏黒が止めるのも無視して好きだからと手に取ってもらえて、伏黒だって本当に五条のことが好きだから想って言っているのに、それでも五条は角砂糖を取る。なんて小さい心なんだと呆れるが、けれど伏黒はあの角砂糖達が妬けるほど羨ましかったのだ。あの瞬間だけ、五条は伏黒よりたかが砂糖を大事にするのだから。だからちょっとだけ意地になってきつく言ってしまって、売り言葉に買い言葉。何となく今日はお互いそういうスイッチが入ってしまって、最終的には伏黒が五条の部屋を飛び出して1人で自室に戻ってきた。人の少ない廊下を足早に歩きながら頭は少しずつ冷静になって、部屋に着いた頃にはもうすっかり後悔だけが胸に残っていて。
そして今更ごめんなさいと言って戻るにしてもタイミングも分からなくなり、今こうして貴重な休みの昼間にベッドの上でだらけている。暖かい日差しが差し込んで、外は眩しくて。なんだか虚しいな、と思いながら伏黒は1度欠伸を零した。
ぱち、と目を覚ますと窓の外は暗くなっていた。気がついたら寝落ちていたようで、眩しかった日差しはとっくに隠れてしまっていた。もう今日も終わりが近い。結局五条と喧嘩みたいなことになって休みが終わってしまったことに、やっぱり伏黒は遅すぎる後悔をする。次なんてあるかも分からないのにこんなことで時間を浪費してしまうなんて。
「あ、起きた」
霞む目を擦りながらベッドから身を起こすと聞き慣れた声がした。
いつからいたのか、ベッド脇に腰掛けた五条がそこにいた。伏黒が身体を起こしたことで近付きよく見えた五条の顔はなんだか少しだけ疲れている。なんでいるんですか、とか勝手に入ってこないでください、とか言おうと思えばいくらでも出てくる筈の悪態はすっかり引っ込んでしまって、自然と零れたのは「ごめんなさい」だった。
その言葉に目を伏せて五条が小さく笑う。
「…それはこっちの台詞だよ。なんかちょっと、ムキになっちゃった。…たかが砂糖なのにね」
五条の腕が伸びてきて、少しの躊躇いを乗せながら伏黒を抱きしめる。本当にいつからいたのだろう。五条の身体は少しだけ冷えていた。
「ごめんね恵。折角の休みなのに台無しなことした」
ごめんね、その言葉に気分が少しだけ上向いて軽くなる。
「ねぇ、次からはもう砂糖は3個にする。だから仲直りして」
たかが珈琲に入れる砂糖の数程度で2人して神妙な顔をしてごめんなさいなんて言って。馬鹿みたいだ。馬鹿みたいで笑えてしまう。ああ、本当に今日は勿体ない時間の使い方をした。真面目な顔をして砂糖の数で仲直りの打診をする姿なんて、きっと他人が見たらあまりのくだらなさに指を指すだろう。でも、そのくだらなさで虚しかった今日が有意義になる。
「…なんですか、3個って」
笑えば、五条はだってもうこんな喧嘩したくないからと言った。
畳む
喧嘩をした。喧嘩と呼ぶのもなんだか情けないくらい、くだらない喧嘩だ。こんなことでいらいらして怒って部屋を飛び出して、折角の休みなのに昼間から自分の部屋のベッドの上で寝転びぼんやりとしている。五条が休みを取れるなんて珍しいこと。更にその休みが伏黒と重なるなんてもっと珍しいこと。顔を合わせることは出来ても、ゆっくりした時間を過ごすことは存外難しい。そんな貴重な一日だった筈なのに。伏黒は窓から差し込む太陽の眩しさに目を閉じた。
こんなことなら、たかが珈琲に入れる砂糖の数くらい好きにさせればよかった。毎回ばかみたいに入れるから角砂糖の減りが早いとか、健康に悪いとか、そんなのは所詮建前で本当はちょっとだけ嫉妬したのだ。伏黒が止めるのも無視して好きだからと手に取ってもらえて、伏黒だって本当に五条のことが好きだから想って言っているのに、それでも五条は角砂糖を取る。なんて小さい心なんだと呆れるが、けれど伏黒はあの角砂糖達が妬けるほど羨ましかったのだ。あの瞬間だけ、五条は伏黒よりたかが砂糖を大事にするのだから。だからちょっとだけ意地になってきつく言ってしまって、売り言葉に買い言葉。何となく今日はお互いそういうスイッチが入ってしまって、最終的には伏黒が五条の部屋を飛び出して1人で自室に戻ってきた。人の少ない廊下を足早に歩きながら頭は少しずつ冷静になって、部屋に着いた頃にはもうすっかり後悔だけが胸に残っていて。
そして今更ごめんなさいと言って戻るにしてもタイミングも分からなくなり、今こうして貴重な休みの昼間にベッドの上でだらけている。暖かい日差しが差し込んで、外は眩しくて。なんだか虚しいな、と思いながら伏黒は1度欠伸を零した。
ぱち、と目を覚ますと窓の外は暗くなっていた。気がついたら寝落ちていたようで、眩しかった日差しはとっくに隠れてしまっていた。もう今日も終わりが近い。結局五条と喧嘩みたいなことになって休みが終わってしまったことに、やっぱり伏黒は遅すぎる後悔をする。次なんてあるかも分からないのにこんなことで時間を浪費してしまうなんて。
「あ、起きた」
霞む目を擦りながらベッドから身を起こすと聞き慣れた声がした。
いつからいたのか、ベッド脇に腰掛けた五条がそこにいた。伏黒が身体を起こしたことで近付きよく見えた五条の顔はなんだか少しだけ疲れている。なんでいるんですか、とか勝手に入ってこないでください、とか言おうと思えばいくらでも出てくる筈の悪態はすっかり引っ込んでしまって、自然と零れたのは「ごめんなさい」だった。
その言葉に目を伏せて五条が小さく笑う。
「…それはこっちの台詞だよ。なんかちょっと、ムキになっちゃった。…たかが砂糖なのにね」
五条の腕が伸びてきて、少しの躊躇いを乗せながら伏黒を抱きしめる。本当にいつからいたのだろう。五条の身体は少しだけ冷えていた。
「ごめんね恵。折角の休みなのに台無しなことした」
ごめんね、その言葉に気分が少しだけ上向いて軽くなる。
「ねぇ、次からはもう砂糖は3個にする。だから仲直りして」
たかが珈琲に入れる砂糖の数程度で2人して神妙な顔をしてごめんなさいなんて言って。馬鹿みたいだ。馬鹿みたいで笑えてしまう。ああ、本当に今日は勿体ない時間の使い方をした。真面目な顔をして砂糖の数で仲直りの打診をする姿なんて、きっと他人が見たらあまりのくだらなさに指を指すだろう。でも、そのくだらなさで虚しかった今日が有意義になる。
「…なんですか、3個って」
笑えば、五条はだってもうこんな喧嘩したくないからと言った。
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性欲
性欲なんてない、なんて顔をしているこの子供にそれを教えたのは自分だ。普通の生き方を知らないこの子に、普通では無いことを教えこんだのだ。罪悪感がないと言えば嘘になるが、けれどこの瞬間だけは罪悪感より背徳感が勝る。ごめんね、なんて言ってもきっと意味なんてない。
「なに、言ってくれないと分かんないよ」
五条の言葉に唇を引き結んだ伏黒が視線で訴えかける。弱々しく五条の人差し指を握る手は緊張か照れか酷く熱を持っていた。大人の誘い方なんて、この歳で知る必要のないことなのに知っている。知っているけれど羞恥が勝る。そのバランスが堪らなかった。
伏黒の手から指を引き抜き、僅かに震える手を絡め取る。指と指が交差して、深く密着する。そのまま指の腹で甲を撫で、時折爪を立てると伏黒の目じりが赤く染まった。
「ね、教えて」
伏黒の瞳が揺れた。涙の膜の張った瞳が揺れて、それから五条の視線から逃れるように伏せられる。
「…ごじょう、さん」
伏黒が先生と呼ばない時は、教師と生徒という関係を逸脱したことをしたい時だ。生きるために必要なことを教える隙間に、知らなくてもいいことを刷り込まれる。こんなどうしようも無い大人を愛してしまったばかりに。ごめんね、愛してるよ。なんて言っても今更すぎて意味などないのだけど。
畳む
性欲なんてない、なんて顔をしているこの子供にそれを教えたのは自分だ。普通の生き方を知らないこの子に、普通では無いことを教えこんだのだ。罪悪感がないと言えば嘘になるが、けれどこの瞬間だけは罪悪感より背徳感が勝る。ごめんね、なんて言ってもきっと意味なんてない。
「なに、言ってくれないと分かんないよ」
五条の言葉に唇を引き結んだ伏黒が視線で訴えかける。弱々しく五条の人差し指を握る手は緊張か照れか酷く熱を持っていた。大人の誘い方なんて、この歳で知る必要のないことなのに知っている。知っているけれど羞恥が勝る。そのバランスが堪らなかった。
伏黒の手から指を引き抜き、僅かに震える手を絡め取る。指と指が交差して、深く密着する。そのまま指の腹で甲を撫で、時折爪を立てると伏黒の目じりが赤く染まった。
「ね、教えて」
伏黒の瞳が揺れた。涙の膜の張った瞳が揺れて、それから五条の視線から逃れるように伏せられる。
「…ごじょう、さん」
伏黒が先生と呼ばない時は、教師と生徒という関係を逸脱したことをしたい時だ。生きるために必要なことを教える隙間に、知らなくてもいいことを刷り込まれる。こんなどうしようも無い大人を愛してしまったばかりに。ごめんね、愛してるよ。なんて言っても今更すぎて意味などないのだけど。
畳む
薬指
野薔薇ちゃん死ぬ前に書いた死ネタ
虎杖達が急いで任務を終わらせて駆けつけた時には、もう伏黒はすっかり身体を綺麗にされて霊安室に置かれていた。呪術師にしては珍しく顔も残っていて五体も残っていて、傍から見たら寝ているだけにしか見えない程に美しい遺体だった。ひやりとした霊安室の中で眠る伏黒はそれにも負けないくらい冷たくなっていて、彼が二度と目覚めないことを虎杖にも釘崎にも良く教えてくれた。
何故こうも彼の遺体が美しいのかといえば、それは五条も同行していたからだ。あんたがいながらなんで伏黒が死んだのよ、と叫ぶ釘崎に五条は言う。「同じ任務についてても常に面倒を見れるわけじゃない。恵も大人だし、そんな大人の面倒を見るほど暇じゃない」その言葉に釘崎は悔しげに舌打ちを零して霊安室を飛び出していったが、虎杖だけはそこに残った。
「さっき家入先生から聞いたんだけどさ、」
ちらりと五条の顔を見る。目隠しに覆われて悲しんでいるのか何も感じていないのかは分からないけれど、一応この2人が恋仲であったことは虎杖も釘崎も知っていた。だから釘崎は五条に掴みかかったし、虎杖もこんなことを聞くのだ。
「伏黒の薬指だけ見つかってないんだって。左手の。先生知らない?」
その虎杖の言葉にうぅん、と唸って五条はわざとらしく顎に手を置いた。
「さぁ?僕が見た時にはなかったし、どっかの呪いが指フェチだったんじゃない?」
____
五条が自分の持ち場を片付けて伏黒の元に向かった時、既に伏黒は地面に倒れていた。最後に残ったのであろう呪霊が伏黒の頭を噛み砕こうとしていたが、直ぐに消し飛ばしてしまったのでそれがどんな呪霊なのかも伏黒の死因も分からなかった。けれど随分と綺麗な遺体だった。まるで眠っているような。死んでそう時間が経っていないのだろう、既に溶けて形を失いかけた玉犬が1人で鳴いていた。
それを見て悲しい、よりも1番に頭をよぎったのは「彼の遺言を守らねば」だった。
伏黒が高専を卒業した日、伏黒の住む部屋へと訪れた五条は祝いにと指輪を渡した。こんな明日が不安定な仕事で形に残るようなものを渡すのは愚かとしか言いようがないが、それでも何かを渡したかった。五条の愚かしいエゴだ。しかしそれを二つ返事で受け取った伏黒は薬指に嵌めたそれを撫でながら言った。
「俺が死んだら、絶対にこれ回収してくださいね」
「なんでよ、あげたんだから死んでも返品不可だよ」
「俺からの一世一代の愛の告白だと思って」
「返品が?」
「そうです」
五条から受け取ったそれを、安い蛍光灯の明かりに翳して伏黒は穏やかに微笑んでいた。死後の話なんてしているとは思えないほどに。
「まぁ、そうですね、よく煮て出汁を取るでもいいし、何かしらの方法で保存してもらうでもいいですし、庭先に埋めてくれるんでもいいです」
五条を置いてきぼりにして伏黒は淡々と言い切ると、それで満足したように翳していた手を降ろした。
「いまいち話が見えないんだけど」
「俺が死んだら分かりますよ。俺からの最大級の告白です」
指輪、ありがとうございます。伏黒はそう言ってまた大事そうに左手の薬指の付け根を撫でたのだった。
さて、彼は昔から言えない言葉の多い子供であった。今こうして、津美紀と違って永遠に目覚めない物言わぬ眠り姫となってしまったのも、助けての一言が言えないからだ。
少しづつ我儘を言えるように育ててきたつもりではあったけれど、それでも終ぞ伏黒が言えなかったのは助けてと、約束と、願いであった。明日デートしよう程度の約束すら言えず、これからの願いすら言えない子だった。そんな子が、あの日五条に伝えた遺言の意味をやっと知る。
「なるほどね。いじらしい事するじゃない」
伏黒の指から指輪が抜けることはなかった。
畳む
野薔薇ちゃん死ぬ前に書いた死ネタ
虎杖達が急いで任務を終わらせて駆けつけた時には、もう伏黒はすっかり身体を綺麗にされて霊安室に置かれていた。呪術師にしては珍しく顔も残っていて五体も残っていて、傍から見たら寝ているだけにしか見えない程に美しい遺体だった。ひやりとした霊安室の中で眠る伏黒はそれにも負けないくらい冷たくなっていて、彼が二度と目覚めないことを虎杖にも釘崎にも良く教えてくれた。
何故こうも彼の遺体が美しいのかといえば、それは五条も同行していたからだ。あんたがいながらなんで伏黒が死んだのよ、と叫ぶ釘崎に五条は言う。「同じ任務についてても常に面倒を見れるわけじゃない。恵も大人だし、そんな大人の面倒を見るほど暇じゃない」その言葉に釘崎は悔しげに舌打ちを零して霊安室を飛び出していったが、虎杖だけはそこに残った。
「さっき家入先生から聞いたんだけどさ、」
ちらりと五条の顔を見る。目隠しに覆われて悲しんでいるのか何も感じていないのかは分からないけれど、一応この2人が恋仲であったことは虎杖も釘崎も知っていた。だから釘崎は五条に掴みかかったし、虎杖もこんなことを聞くのだ。
「伏黒の薬指だけ見つかってないんだって。左手の。先生知らない?」
その虎杖の言葉にうぅん、と唸って五条はわざとらしく顎に手を置いた。
「さぁ?僕が見た時にはなかったし、どっかの呪いが指フェチだったんじゃない?」
____
五条が自分の持ち場を片付けて伏黒の元に向かった時、既に伏黒は地面に倒れていた。最後に残ったのであろう呪霊が伏黒の頭を噛み砕こうとしていたが、直ぐに消し飛ばしてしまったのでそれがどんな呪霊なのかも伏黒の死因も分からなかった。けれど随分と綺麗な遺体だった。まるで眠っているような。死んでそう時間が経っていないのだろう、既に溶けて形を失いかけた玉犬が1人で鳴いていた。
それを見て悲しい、よりも1番に頭をよぎったのは「彼の遺言を守らねば」だった。
伏黒が高専を卒業した日、伏黒の住む部屋へと訪れた五条は祝いにと指輪を渡した。こんな明日が不安定な仕事で形に残るようなものを渡すのは愚かとしか言いようがないが、それでも何かを渡したかった。五条の愚かしいエゴだ。しかしそれを二つ返事で受け取った伏黒は薬指に嵌めたそれを撫でながら言った。
「俺が死んだら、絶対にこれ回収してくださいね」
「なんでよ、あげたんだから死んでも返品不可だよ」
「俺からの一世一代の愛の告白だと思って」
「返品が?」
「そうです」
五条から受け取ったそれを、安い蛍光灯の明かりに翳して伏黒は穏やかに微笑んでいた。死後の話なんてしているとは思えないほどに。
「まぁ、そうですね、よく煮て出汁を取るでもいいし、何かしらの方法で保存してもらうでもいいですし、庭先に埋めてくれるんでもいいです」
五条を置いてきぼりにして伏黒は淡々と言い切ると、それで満足したように翳していた手を降ろした。
「いまいち話が見えないんだけど」
「俺が死んだら分かりますよ。俺からの最大級の告白です」
指輪、ありがとうございます。伏黒はそう言ってまた大事そうに左手の薬指の付け根を撫でたのだった。
さて、彼は昔から言えない言葉の多い子供であった。今こうして、津美紀と違って永遠に目覚めない物言わぬ眠り姫となってしまったのも、助けての一言が言えないからだ。
少しづつ我儘を言えるように育ててきたつもりではあったけれど、それでも終ぞ伏黒が言えなかったのは助けてと、約束と、願いであった。明日デートしよう程度の約束すら言えず、これからの願いすら言えない子だった。そんな子が、あの日五条に伝えた遺言の意味をやっと知る。
「なるほどね。いじらしい事するじゃない」
伏黒の指から指輪が抜けることはなかった。
畳む
ホットケーキ
「ホットケーキが食べたい」恵がそう言う時は決まって疲れに疲れて、沈みきっている時だ。高専に来る前は夜中にいきなり電話をしてきたこともあったし、恵が住んでいたアパートに訪れた時に急に言われたこともあった。高専に来てからはぱたりと落ち着いてしまって寂しい限りではあったけれど、しかしそれは不意にやってきた。
最後に恵が悟の作ったホットケーキを食べたのはいつだったか。生徒寮に引っ越す前日だろうか。久しぶりに訪れた日とはいえ、ちゃんと自室にホットケーキミックスとその他材料を用意してあるあたり慣れとは恐ろしい。滅多に使うことの無いキッチンにちゃんと調理器具があるのも、この日の為だった。
「トッピングは?」
「…メープルシロップと、バター」
「了解」
油の引いたフライパンに生地を流し込めば甘い匂いと共に油の跳ねる音がした。こんがりと美味しい色に焼けるよう、タイミングは逃さないように。久しぶりのホットケーキに、柄にもなく少しだけ緊張した。
このホットケーキは、小さい時に恵が津美紀によく作ってもらっていたものだ。何か嫌なことがあった日、落ち込んだ日、泣きたい日、とにかく気分が沈んでしまった時に顔に出ない恵の変化に気付いては安いホットケーキミックスでもってホットケーキを焼いていた。シンプルにメープルシロップとバターが乗っかった、絵に書いたようなホットケーキ。何度か恵がそのホットケーキを食べている現場に出くわしたことがあるが、初めの頃は生焼けだったり崩れていたりと不格好だったそれは、恵が中学に上がった頃には随分と上手くなっていた。実質悟がホットケーキを作ってやったのは恵が中学三年になってからの1年くらいしかないが、その1年はよく食べていたと思う。最初は悟から食べようと持ちかけて、やがて恵から食べたいと言い出すようになったのだ。
「はい、悟さん特製ホットケーキ!」
じゃーん!なんて効果音を付けてテーブルに置けば、ソファの上で静かにしていた恵の目がホットケーキを捉えた。ぱちぱちと、長い睫毛が音もなく上下してまん丸に焼けたホットケーキを見つめる。じわりとバターが溶けて滑る。
「…いただきます」
「召し上がれ」
きっと津美紀が作ったホットケーキに比べたら天と地ほども違うのだろうが、恵は食べるといつも少しだけ目じりが柔らかくなる。小さい頃に津美紀が作った不格好なホットケーキを食べた時と同じように。
何があったかなんて聞かない。津美紀も何があったのか恵に聞いたことはなかったし、悟も聞く気はなかった。どうしても話したそうな顔をしているのなら別だが、そんな顔をしている方が稀だ。
人間誰だって、意味もなく気分が沈む日はある。
恵が食べている横から自分のナイフで一欠片切り取る。行儀が悪いのは知っているが、ナイフの先で刺して持ち上げて一口食べれば懐かしい味がした。
畳む
「ホットケーキが食べたい」恵がそう言う時は決まって疲れに疲れて、沈みきっている時だ。高専に来る前は夜中にいきなり電話をしてきたこともあったし、恵が住んでいたアパートに訪れた時に急に言われたこともあった。高専に来てからはぱたりと落ち着いてしまって寂しい限りではあったけれど、しかしそれは不意にやってきた。
最後に恵が悟の作ったホットケーキを食べたのはいつだったか。生徒寮に引っ越す前日だろうか。久しぶりに訪れた日とはいえ、ちゃんと自室にホットケーキミックスとその他材料を用意してあるあたり慣れとは恐ろしい。滅多に使うことの無いキッチンにちゃんと調理器具があるのも、この日の為だった。
「トッピングは?」
「…メープルシロップと、バター」
「了解」
油の引いたフライパンに生地を流し込めば甘い匂いと共に油の跳ねる音がした。こんがりと美味しい色に焼けるよう、タイミングは逃さないように。久しぶりのホットケーキに、柄にもなく少しだけ緊張した。
このホットケーキは、小さい時に恵が津美紀によく作ってもらっていたものだ。何か嫌なことがあった日、落ち込んだ日、泣きたい日、とにかく気分が沈んでしまった時に顔に出ない恵の変化に気付いては安いホットケーキミックスでもってホットケーキを焼いていた。シンプルにメープルシロップとバターが乗っかった、絵に書いたようなホットケーキ。何度か恵がそのホットケーキを食べている現場に出くわしたことがあるが、初めの頃は生焼けだったり崩れていたりと不格好だったそれは、恵が中学に上がった頃には随分と上手くなっていた。実質悟がホットケーキを作ってやったのは恵が中学三年になってからの1年くらいしかないが、その1年はよく食べていたと思う。最初は悟から食べようと持ちかけて、やがて恵から食べたいと言い出すようになったのだ。
「はい、悟さん特製ホットケーキ!」
じゃーん!なんて効果音を付けてテーブルに置けば、ソファの上で静かにしていた恵の目がホットケーキを捉えた。ぱちぱちと、長い睫毛が音もなく上下してまん丸に焼けたホットケーキを見つめる。じわりとバターが溶けて滑る。
「…いただきます」
「召し上がれ」
きっと津美紀が作ったホットケーキに比べたら天と地ほども違うのだろうが、恵は食べるといつも少しだけ目じりが柔らかくなる。小さい頃に津美紀が作った不格好なホットケーキを食べた時と同じように。
何があったかなんて聞かない。津美紀も何があったのか恵に聞いたことはなかったし、悟も聞く気はなかった。どうしても話したそうな顔をしているのなら別だが、そんな顔をしている方が稀だ。
人間誰だって、意味もなく気分が沈む日はある。
恵が食べている横から自分のナイフで一欠片切り取る。行儀が悪いのは知っているが、ナイフの先で刺して持ち上げて一口食べれば懐かしい味がした。
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ハンドクリーム
まだ詳細な調伏の流れとかいつからごじょの任務について行ってたのか判明してなかった頃に書いたやつ
冬になると決まって缶のハンドクリームを持って伏黒の元へやってくる。毎年缶の絵柄も中身も違うそれは、五条が持ってくる度に初めての香りでもって伏黒の手を包んだ。
小学三年生辺りだろうか。伏黒がようやっと玉犬を当たり前に呼べるようになって飼い慣らし始めた頃、五条は幼いながらに荒れた伏黒の手を見て言ったのだ。恵は手を使うんだからもっと大事にしないと、と。親のいない自分たちはできる家事は自分でしなくてはならない。それも相まっていつも自分たち姉弟の手は荒れ放題だった。それから五条が手土産にハンドクリームを持ってきたのはすぐのことだった。
「ハンドクリームくらい、もう自分で塗れますよ」
つむじを眺めながらの伏黒の言葉に、五条は上機嫌に鼻歌を歌いながら手を動かすだけで答えない。ソファに腰掛ける伏黒の為にわざわざカーペットの上に座って、ひたすらに伏黒の手にクリームを塗り込んでいく。
五条の大きな手がクリームを纏って伏黒の手を包む。手のひら、甲、指の股から指先、手首まで。ひたすらに往復して、時折爪にも爪の際にも塗り込まれるその動きにいやらしさなんてものは全くなくて、ただ伏黒の為だけに動いている。
「恵ってさ、冷え性じゃん」
「まぁ、そうですね」
「手を大事にしてほしいってのもあるんだけどさ、いつも冷たいから」
あっためてあげたくて。
昔から子供みたいな体温の手が、冷たい伏黒の指先を温める。ふわりと柔らかく香るレモンと、五条との境が曖昧になる手のひら。とっくに1人でハンドクリームくらい塗れるのだけど、そんなことを言われてしまったらもうそんなことは言えなくなってしまった。五条がこうして冬になる度に甲斐甲斐しく伏黒の手にハンドクリームを塗り込み、芯まで冷えた指先に温もりを与えてくれる。それが存外好きで、冷え性も悪くないな、なんて思っているのだから。
畳む
まだ詳細な調伏の流れとかいつからごじょの任務について行ってたのか判明してなかった頃に書いたやつ
冬になると決まって缶のハンドクリームを持って伏黒の元へやってくる。毎年缶の絵柄も中身も違うそれは、五条が持ってくる度に初めての香りでもって伏黒の手を包んだ。
小学三年生辺りだろうか。伏黒がようやっと玉犬を当たり前に呼べるようになって飼い慣らし始めた頃、五条は幼いながらに荒れた伏黒の手を見て言ったのだ。恵は手を使うんだからもっと大事にしないと、と。親のいない自分たちはできる家事は自分でしなくてはならない。それも相まっていつも自分たち姉弟の手は荒れ放題だった。それから五条が手土産にハンドクリームを持ってきたのはすぐのことだった。
「ハンドクリームくらい、もう自分で塗れますよ」
つむじを眺めながらの伏黒の言葉に、五条は上機嫌に鼻歌を歌いながら手を動かすだけで答えない。ソファに腰掛ける伏黒の為にわざわざカーペットの上に座って、ひたすらに伏黒の手にクリームを塗り込んでいく。
五条の大きな手がクリームを纏って伏黒の手を包む。手のひら、甲、指の股から指先、手首まで。ひたすらに往復して、時折爪にも爪の際にも塗り込まれるその動きにいやらしさなんてものは全くなくて、ただ伏黒の為だけに動いている。
「恵ってさ、冷え性じゃん」
「まぁ、そうですね」
「手を大事にしてほしいってのもあるんだけどさ、いつも冷たいから」
あっためてあげたくて。
昔から子供みたいな体温の手が、冷たい伏黒の指先を温める。ふわりと柔らかく香るレモンと、五条との境が曖昧になる手のひら。とっくに1人でハンドクリームくらい塗れるのだけど、そんなことを言われてしまったらもうそんなことは言えなくなってしまった。五条がこうして冬になる度に甲斐甲斐しく伏黒の手にハンドクリームを塗り込み、芯まで冷えた指先に温もりを与えてくれる。それが存外好きで、冷え性も悪くないな、なんて思っているのだから。
畳む
呼び声
小さい頃、自分たち姉弟を見て五条が大きく手を振ってくるのが嫌だった。ただでさえ大きな体で大きく手を振って、ただでさえ目立つ人間が更に目立つ。でも姉は目印になってくれる五条に駆け寄るから一緒に行くしかなかった。中三の夏前には、そうして手を振って呼ばれるようなことはなくなったのだが。
けれどそんな五条が手を振っていた。どこだかよく分からない浅い川の真ん中に立つ伏黒に向かって、よく知った笑顔でもって手を振っていた。足首までしかない広い川の片側には五条が手を振って待っていて、もう片側には誰もいなかった。何故川にいるのかも、ここが何処なのかも分からなかったが立ち尽くしたままではいけないことだけは分かる。どちらかに行かねばならなかった。
小さい頃はこうして伏黒達を呼ぶのが嫌だった。津美紀がいない今、無視して反対側に行ってもよかったのだが、その時はなんとなく呼ばれるままに五条の方に行こうと思った。
水を跳ねさせながら進む川の向こうではまだ五条が伏黒を呼んでいた。
「おはよ」
「……はよ、ございます」
目を開けるとベッド脇に腰掛けた五条が見下ろしていた。視線を動かしながら今いる場所となぜ寝ているのかを思い出す。見慣れた医務室、薬品の匂い、痛む身体、目覚めるのを待っていた五条。
「呪いは、」
「祓っといたよ」
「…ありがとうございます」
任務で失敗したのだ。本来なら伏黒1人で足りる筈の任務。伝えられていた等級と現実は違った。それを言い訳の理由にしていいわけではないが、伏黒1人で足りる筈だった任務はそうではなかった。不甲斐ない、と思う。死にかけて結局五条に後始末をしてもらった。
そして、呼んでもらった。
「三途の川って本当にあるんですね」
痛む体はまだ動かせないけれど、視線だけで五条の手元を見る。この手が川の真ん中に立つ伏黒を呼んでいた。懐かしさすら感じるほどに。もしも伏黒があの五条を無視して反対側に渡っていたらこうして目覚めることはなかったのかもしれない。本当に五条が呼んでくれたのか、伏黒が生きたいと思ったから都合よく幻が現れたのか、真実は分からないけれど。
「へぇ、迷わず帰ってこれたんだ」
姉弟を呼ぶ時、まだ背丈もそれほどなかった自分たちの為に決まって五条は目印になるように大きく手を振っていた。津美紀、恵、と名前まで呼んで。いるだけで目立つのにさらに目立って本当は嫌だったのだけど。
「…あんたが、呼んでたから」
目隠しで見えないけれど、五条の目が柔く緩められた気がした。
「まだ恵と一緒にいたいって思ったからかな」
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小さい頃、自分たち姉弟を見て五条が大きく手を振ってくるのが嫌だった。ただでさえ大きな体で大きく手を振って、ただでさえ目立つ人間が更に目立つ。でも姉は目印になってくれる五条に駆け寄るから一緒に行くしかなかった。中三の夏前には、そうして手を振って呼ばれるようなことはなくなったのだが。
けれどそんな五条が手を振っていた。どこだかよく分からない浅い川の真ん中に立つ伏黒に向かって、よく知った笑顔でもって手を振っていた。足首までしかない広い川の片側には五条が手を振って待っていて、もう片側には誰もいなかった。何故川にいるのかも、ここが何処なのかも分からなかったが立ち尽くしたままではいけないことだけは分かる。どちらかに行かねばならなかった。
小さい頃はこうして伏黒達を呼ぶのが嫌だった。津美紀がいない今、無視して反対側に行ってもよかったのだが、その時はなんとなく呼ばれるままに五条の方に行こうと思った。
水を跳ねさせながら進む川の向こうではまだ五条が伏黒を呼んでいた。
「おはよ」
「……はよ、ございます」
目を開けるとベッド脇に腰掛けた五条が見下ろしていた。視線を動かしながら今いる場所となぜ寝ているのかを思い出す。見慣れた医務室、薬品の匂い、痛む身体、目覚めるのを待っていた五条。
「呪いは、」
「祓っといたよ」
「…ありがとうございます」
任務で失敗したのだ。本来なら伏黒1人で足りる筈の任務。伝えられていた等級と現実は違った。それを言い訳の理由にしていいわけではないが、伏黒1人で足りる筈だった任務はそうではなかった。不甲斐ない、と思う。死にかけて結局五条に後始末をしてもらった。
そして、呼んでもらった。
「三途の川って本当にあるんですね」
痛む体はまだ動かせないけれど、視線だけで五条の手元を見る。この手が川の真ん中に立つ伏黒を呼んでいた。懐かしさすら感じるほどに。もしも伏黒があの五条を無視して反対側に渡っていたらこうして目覚めることはなかったのかもしれない。本当に五条が呼んでくれたのか、伏黒が生きたいと思ったから都合よく幻が現れたのか、真実は分からないけれど。
「へぇ、迷わず帰ってこれたんだ」
姉弟を呼ぶ時、まだ背丈もそれほどなかった自分たちの為に決まって五条は目印になるように大きく手を振っていた。津美紀、恵、と名前まで呼んで。いるだけで目立つのにさらに目立って本当は嫌だったのだけど。
「…あんたが、呼んでたから」
目隠しで見えないけれど、五条の目が柔く緩められた気がした。
「まだ恵と一緒にいたいって思ったからかな」
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隣がいない夜
教師寮があると思ってた頃に書いたやつ
「俺の部屋に来るの、珍しいですね」
「今夜は隣がいないから」
言われてみればそういうものか。五条の言葉に深く考えることなく伏黒はベッドに背中を預けた。スプリングの軋む音が静かな夜によく響く。見慣れた天井と、見慣れた顔、慣れてきた夜。今夜は満月なのか差し込む月明かりが五条の顔を照らした。
基本的に伏黒が呼ばれて五条の部屋に行くことが多い。生徒寮と職員寮は分かれているからそう何度も行きたくはないのだが、伏黒の部屋のベッドじゃ狭いと駄々を捏ねるのだから仕方ない。つくづく伏黒は五条に甘いのだ。
「それとね、」
シーツに背中を預けた伏黒の頬を撫でながら五条が言う。真っ白な睫毛で縁取られた目を細めて、その青い瞳に伏黒を映した五条はベッド脇に置いてあるサイドチェストを指さした。
「恵の部屋にゴムとローションあんの、興奮する。悪いことしてるみたいで」
だからたまに確認したくなるんだよね。頬に滑らせていた手を、指先は触れさせたまま伏黒の腕、そこを辿り手のひらまで流す。辿り着いた手を取り、ベッドから伏黒の手だけを落とす。
「ほら、恵が手を伸ばして。取ってよ」
畳む
教師寮があると思ってた頃に書いたやつ
「俺の部屋に来るの、珍しいですね」
「今夜は隣がいないから」
言われてみればそういうものか。五条の言葉に深く考えることなく伏黒はベッドに背中を預けた。スプリングの軋む音が静かな夜によく響く。見慣れた天井と、見慣れた顔、慣れてきた夜。今夜は満月なのか差し込む月明かりが五条の顔を照らした。
基本的に伏黒が呼ばれて五条の部屋に行くことが多い。生徒寮と職員寮は分かれているからそう何度も行きたくはないのだが、伏黒の部屋のベッドじゃ狭いと駄々を捏ねるのだから仕方ない。つくづく伏黒は五条に甘いのだ。
「それとね、」
シーツに背中を預けた伏黒の頬を撫でながら五条が言う。真っ白な睫毛で縁取られた目を細めて、その青い瞳に伏黒を映した五条はベッド脇に置いてあるサイドチェストを指さした。
「恵の部屋にゴムとローションあんの、興奮する。悪いことしてるみたいで」
だからたまに確認したくなるんだよね。頬に滑らせていた手を、指先は触れさせたまま伏黒の腕、そこを辿り手のひらまで流す。辿り着いた手を取り、ベッドから伏黒の手だけを落とす。
「ほら、恵が手を伸ばして。取ってよ」
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夏祭り
「祭りに浴衣、夏っぽくていいね」
「…あんたが着せに押し掛けてきたんでしょうが」
溜息を吐き出しながら伏黒は慣れない浴衣に居心地悪そうに自身の腕を撫でた。裾から見える白い腕がシンプルな紺の浴衣によく映える。
「夏は満喫しなきゃね。じゃ、行こっか」
手を取ったらきっと怒られる。それが分かっているからそのまま人でごった返している屋台の並ぶ通りへと足を踏み入れた。人より頭1つ分程ある背丈のおかげで見晴らしもよく道に困ることも無い。からりと鳴る下駄の音と共に五条の隣を歩く伏黒の黒い頭は時折人に埋もれるけども。
花火大会があるから行こうと提案したのは五条だ。多忙な五条に夏休みなどというものは存在しないが、運良く高専からそれほど遠くない場所にある花火大会の日に限って何の予定もなく空いていたのだ。急な呼び出しでも無ければ丸一日オフとなる。この花火大会に行こうと決めた時点でスマートフォンの電源はオフにして急な呼び出しなぞ無かったことにするつもりではあったが。
そうして浴衣片手に伏黒の部屋に押し掛けて今日に至る。伏黒に着せるのだから自分も着ないでどうする、ということでお互い浴衣姿なのがまた夏らしくていい。
「とりあえずベタにかき氷からかな。味どーする?」
「…メロンで」
「おっけー」
1番に見つけたかき氷の屋台の前で当たり前のように五条に奢ってもらうつもりの伏黒は、少し考えてからメロンと書かれたシロップを指さした。見るからに身体に悪そうな色をしたシロップは、けれど氷にかけられるだけで途端に美味しそうに見えるのだから不思議だ。
目の前で削られてカップに盛られていく氷にこれでもかとかけられるシロップ。五条はブルーハワイで伏黒はメロン。お祭り価格のそれを受け取って再び歩き出す。
花火が打ち上がるまであとどれ位なのか。確認しようにも腕時計をしていない上にスマートフォンの電源は落としてあるから分かりやしない。伏黒に聞けばいいのだが、この大雑把さもまた祭りの醍醐味であろうと適当な理由をでっち上げて五条はかき氷を食べながら1度人混みから離れた。
「どこ行くんですか」
「花火見えそうな所」
「あんたの身長なら場所なんて関係ないでしょう」
「恵も見えないと意味ないじゃん」
そう言うと押し黙る姿が可愛い、なんて言えば機嫌を損ねてしまうだろう。何をしたって五条からしてみれば愛らしいことに変わりはないのだが、伏黒はそんなこと知らないし知らなくていい。
少しずつカップの底に薄くなったシロップが溜まりはじめた頃。人混みから離れて人気も屋台周辺に比べれば随分とましになった通りを歩いていると遠くから聞き覚えのある破裂音が聞こえた。花火が打ち上がり始めたのだ。
「お、始まったね。さっさとこっち来てよかった」
最初の1発を合図に次から次へと打ち上がる花火に、本当はこの後チョコバナナもりんご飴も食べたかったが早めに移動して良かったと思った。本来の目的はこれなのだから。食べるのなんて帰りにでも寄れば十分だ。
周りにいた人々が打ち上がる花火に歓声を上げる。誰も彼もみんな空を見上げては丸く広がる花火に見蕩れていた。それは伏黒も同じことで、かき氷を掬い上げていた手を動かすのを忘れてじっと見入っていた。濃い緑の瞳に光が反射して、きらきらと瞬いていた。中途半端に持ち上げられていたストロー型のスプーンの上の氷が溶けて、ストローを伝い静かに伏黒の手のひらへと流れ落ち、腕へと流れる。
ぱっと空に開いた花火が、流れた氷に驚いた伏黒の横顔を照らす。
「恵」
浴衣から伸びる白い腕は夏の夜によく映える。伝う氷水だってそうだ。腕を掴めば僅かにぬるくなった水が五条の手を濡らす。ぐっと腕を持ち上げ、肘まで伝い始めていたそれを舐め取ればひくりと腕が震えた。
「浴衣、汚れるよ」
「っ、あんた、ここをどこだと…!」
「みんな花火しか見てないって」
寧ろ騒ぐとこっち見られちゃうよ。そう言うと伏黒はこちらを睨みつけて腕を振り払った。みんな花火に夢中で五条達なんて見てやしない。見られたところでもう会うこともない他人だ、気にすることでもない。
どん、と身体に響くような音がして、少しの時差でもって一際大きな花火が空に広がった。暗闇を照らす花火の中、伏黒の耳は赤く染まっていて。
「……可愛いね」
その言葉は次に打ち上がった轟音で掻き消された。
畳む
「祭りに浴衣、夏っぽくていいね」
「…あんたが着せに押し掛けてきたんでしょうが」
溜息を吐き出しながら伏黒は慣れない浴衣に居心地悪そうに自身の腕を撫でた。裾から見える白い腕がシンプルな紺の浴衣によく映える。
「夏は満喫しなきゃね。じゃ、行こっか」
手を取ったらきっと怒られる。それが分かっているからそのまま人でごった返している屋台の並ぶ通りへと足を踏み入れた。人より頭1つ分程ある背丈のおかげで見晴らしもよく道に困ることも無い。からりと鳴る下駄の音と共に五条の隣を歩く伏黒の黒い頭は時折人に埋もれるけども。
花火大会があるから行こうと提案したのは五条だ。多忙な五条に夏休みなどというものは存在しないが、運良く高専からそれほど遠くない場所にある花火大会の日に限って何の予定もなく空いていたのだ。急な呼び出しでも無ければ丸一日オフとなる。この花火大会に行こうと決めた時点でスマートフォンの電源はオフにして急な呼び出しなぞ無かったことにするつもりではあったが。
そうして浴衣片手に伏黒の部屋に押し掛けて今日に至る。伏黒に着せるのだから自分も着ないでどうする、ということでお互い浴衣姿なのがまた夏らしくていい。
「とりあえずベタにかき氷からかな。味どーする?」
「…メロンで」
「おっけー」
1番に見つけたかき氷の屋台の前で当たり前のように五条に奢ってもらうつもりの伏黒は、少し考えてからメロンと書かれたシロップを指さした。見るからに身体に悪そうな色をしたシロップは、けれど氷にかけられるだけで途端に美味しそうに見えるのだから不思議だ。
目の前で削られてカップに盛られていく氷にこれでもかとかけられるシロップ。五条はブルーハワイで伏黒はメロン。お祭り価格のそれを受け取って再び歩き出す。
花火が打ち上がるまであとどれ位なのか。確認しようにも腕時計をしていない上にスマートフォンの電源は落としてあるから分かりやしない。伏黒に聞けばいいのだが、この大雑把さもまた祭りの醍醐味であろうと適当な理由をでっち上げて五条はかき氷を食べながら1度人混みから離れた。
「どこ行くんですか」
「花火見えそうな所」
「あんたの身長なら場所なんて関係ないでしょう」
「恵も見えないと意味ないじゃん」
そう言うと押し黙る姿が可愛い、なんて言えば機嫌を損ねてしまうだろう。何をしたって五条からしてみれば愛らしいことに変わりはないのだが、伏黒はそんなこと知らないし知らなくていい。
少しずつカップの底に薄くなったシロップが溜まりはじめた頃。人混みから離れて人気も屋台周辺に比べれば随分とましになった通りを歩いていると遠くから聞き覚えのある破裂音が聞こえた。花火が打ち上がり始めたのだ。
「お、始まったね。さっさとこっち来てよかった」
最初の1発を合図に次から次へと打ち上がる花火に、本当はこの後チョコバナナもりんご飴も食べたかったが早めに移動して良かったと思った。本来の目的はこれなのだから。食べるのなんて帰りにでも寄れば十分だ。
周りにいた人々が打ち上がる花火に歓声を上げる。誰も彼もみんな空を見上げては丸く広がる花火に見蕩れていた。それは伏黒も同じことで、かき氷を掬い上げていた手を動かすのを忘れてじっと見入っていた。濃い緑の瞳に光が反射して、きらきらと瞬いていた。中途半端に持ち上げられていたストロー型のスプーンの上の氷が溶けて、ストローを伝い静かに伏黒の手のひらへと流れ落ち、腕へと流れる。
ぱっと空に開いた花火が、流れた氷に驚いた伏黒の横顔を照らす。
「恵」
浴衣から伸びる白い腕は夏の夜によく映える。伝う氷水だってそうだ。腕を掴めば僅かにぬるくなった水が五条の手を濡らす。ぐっと腕を持ち上げ、肘まで伝い始めていたそれを舐め取ればひくりと腕が震えた。
「浴衣、汚れるよ」
「っ、あんた、ここをどこだと…!」
「みんな花火しか見てないって」
寧ろ騒ぐとこっち見られちゃうよ。そう言うと伏黒はこちらを睨みつけて腕を振り払った。みんな花火に夢中で五条達なんて見てやしない。見られたところでもう会うこともない他人だ、気にすることでもない。
どん、と身体に響くような音がして、少しの時差でもって一際大きな花火が空に広がった。暗闇を照らす花火の中、伏黒の耳は赤く染まっていて。
「……可愛いね」
その言葉は次に打ち上がった轟音で掻き消された。
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向日葵(side五条)
旅行というものを、この子達は知らなかった。電車でたった1時間足らず、乗り換えは1回。その程度の距離だというのにこの子供達は旅行だとはしゃいでいた。1人は目に見えて嬉しそうに、もう1人は分かりにくいけれど落ち着かない様子で。それを可哀想だと思わないでもないが、しかしこの子達は自分達が可哀想だと思われる立場にいることを聡い頭でよく理解していた。理解していたからこそ、冗談でも口に出すのははばかられた。それだけ、情が生まれてしまったということなのだろうけれど。
「ここね、向日葵畑あるんだって」
夏が始まる少し前にそう伝えた時、津美紀の方は瞳を輝かせたが恵の方はちょっとだけ嫌そうに口を尖らせた。いつも五条がすることに口を尖らす子ではあったが、僅かに違う様子に向日葵が嫌いなのかもしれないと目星を付ける。人の背丈を簡単に超えるくらい大きくなる向日葵は、この姉弟くらいなら簡単に追い越して包み込んでしまうだろう。出会った時はあんなに子供らしかぬ子供だったというのに、やはり所詮は子供なのだと微笑ましくなる。
しかし実際に公園へと行くことが出来たのは夏が終わる頃だった。いつまで経っても五条に頼りきりなおかげで仕事に追われて時間が取れなかったのだ。無理に時間を作ってもいいが、それをしたら後でどんなしっぺ返しが来るか分かったものじゃない。人使いが荒いのだ。
そうしてやっと夏も終わりかけ人も少し減り始めた公園へと着けば、案の定向日葵畑は枯れ始め、天高く上を向いている筈の花は下を向いていた。気味悪く映るそれに、分かっていたとしても少し残念に思っていれば津美紀がにこにことしながら言った。さとるくん、大きいね。と。その言葉に視線を少し動かせば、2人を追い越す向日葵は五条の視線の少し下にあった。向日葵は大きいもの、でも五条はそれよりもっと大きいもの。子供らしい素直な言葉に笑えば、向日葵のずっと下で恵は尖らせていた口を丸く開けてこちらを見上げていた。
任務が終わり、適当にコンビニに寄り道した帰り。いつもなら興味もなく通り過ぎる花屋の店先に向日葵が並んでいた。公園で見たものとは違う、多少短く切りそろえられたそれに遠いようで近い夏のことを思い出す。
きっと恵は知らないし知ることもないが、実は幼稚園くらいの時の五条も向日葵が怖かったのだ。なんでも出来るすごい力があったって、背はそんなあっという間に伸びやしない。自分を追い越して視界を覆い隠す向日葵の群れなんて特に怖かった。だからあの日の恵が嫌そうな顔をした理由が手に取るように分かったのだ。可愛い共通点だ。
「この向日葵、何本かくれない?」
畳む
旅行というものを、この子達は知らなかった。電車でたった1時間足らず、乗り換えは1回。その程度の距離だというのにこの子供達は旅行だとはしゃいでいた。1人は目に見えて嬉しそうに、もう1人は分かりにくいけれど落ち着かない様子で。それを可哀想だと思わないでもないが、しかしこの子達は自分達が可哀想だと思われる立場にいることを聡い頭でよく理解していた。理解していたからこそ、冗談でも口に出すのははばかられた。それだけ、情が生まれてしまったということなのだろうけれど。
「ここね、向日葵畑あるんだって」
夏が始まる少し前にそう伝えた時、津美紀の方は瞳を輝かせたが恵の方はちょっとだけ嫌そうに口を尖らせた。いつも五条がすることに口を尖らす子ではあったが、僅かに違う様子に向日葵が嫌いなのかもしれないと目星を付ける。人の背丈を簡単に超えるくらい大きくなる向日葵は、この姉弟くらいなら簡単に追い越して包み込んでしまうだろう。出会った時はあんなに子供らしかぬ子供だったというのに、やはり所詮は子供なのだと微笑ましくなる。
しかし実際に公園へと行くことが出来たのは夏が終わる頃だった。いつまで経っても五条に頼りきりなおかげで仕事に追われて時間が取れなかったのだ。無理に時間を作ってもいいが、それをしたら後でどんなしっぺ返しが来るか分かったものじゃない。人使いが荒いのだ。
そうしてやっと夏も終わりかけ人も少し減り始めた公園へと着けば、案の定向日葵畑は枯れ始め、天高く上を向いている筈の花は下を向いていた。気味悪く映るそれに、分かっていたとしても少し残念に思っていれば津美紀がにこにことしながら言った。さとるくん、大きいね。と。その言葉に視線を少し動かせば、2人を追い越す向日葵は五条の視線の少し下にあった。向日葵は大きいもの、でも五条はそれよりもっと大きいもの。子供らしい素直な言葉に笑えば、向日葵のずっと下で恵は尖らせていた口を丸く開けてこちらを見上げていた。
任務が終わり、適当にコンビニに寄り道した帰り。いつもなら興味もなく通り過ぎる花屋の店先に向日葵が並んでいた。公園で見たものとは違う、多少短く切りそろえられたそれに遠いようで近い夏のことを思い出す。
きっと恵は知らないし知ることもないが、実は幼稚園くらいの時の五条も向日葵が怖かったのだ。なんでも出来るすごい力があったって、背はそんなあっという間に伸びやしない。自分を追い越して視界を覆い隠す向日葵の群れなんて特に怖かった。だからあの日の恵が嫌そうな顔をした理由が手に取るように分かったのだ。可愛い共通点だ。
「この向日葵、何本かくれない?」
畳む
向日葵(side伏黒)
昔、向日葵が怖かった。特に枯れて色褪せた向日葵が恐ろしくて仕方なかった。太陽に向かってぐんぐんと伸びた筈の茎の先に付く花が、枯れてしまえばもう上を向くことも無く俯く。まるで巨大な目玉がこちらを覗くような、その枯れた向日葵を見る度に恵は夏の終わりはこれだから嫌だと思ったものだった。伸びた背丈は簡単に恵も姉も追い越して真上から見下ろしてくる。それもまた、恐ろしいのだった。
しかし向日葵が怖いなどと可愛いことを思っていたのも一瞬のことで、そう長くは続かなかった。
小学三年生の夏の終わり。五条に連れられて姉と2人で旅行に出かけた。といっても電車を乗り継いで近場の総合公園に行っただけなのだけど。旅行とも呼べないようなお粗末なもの。でも電車に乗って行くような場所は初めてのことだった2人にとっては間違いなく初めての旅行だった。どんどん知らない土地へと景色の変わっていく車窓に、隣に座る姉はそわそわと視線を泳がせていたし、自分も浮き立つ気持ちを隠すようにじっと窓の外を眺めていた。
「ここね、向日葵畑あるんだって」
五条が言っていた言葉だ。きっと五条の予定ではその向日葵が咲き誇っている頃に行きたくて言ったのだろうが、結局夏が終わる頃になってしまったのだった。
背丈の高い向日葵が簡単に恵も津美紀も追い越して隠してしまうのが、そのまま攫われてしまうのではないかと恐ろしかった。枯れた向日葵が、じっとこちらを見下ろして取り囲んでしまうような、そんな想像すらした。実際、夏も終わる頃にやってきた公園ではもう向日葵は萎れ始めていて、天を向いている筈の花は下を向き始めていた。
けれど津美紀が言った。さとるくん大きいね、と。その言葉に知らず知らず向日葵の視線から逃れるように俯いていた顔を持ち上げれば、向日葵から頭1つ分抜き出た五条の姿があった。それを見たら途端に向日葵が小さく見えてしまって、ふっと肩から力が抜けて、拍子抜けしてしまった。何でも隠せてしまうと思った向日葵は、しかしそうではなかったのだ、と。
という昔の記憶に恵は深い溜息を吐き出した。こんな思い出、たぶん五条に語ることは一生ないだろう。
「人の顔見て溜息吐かないでよ」
「…向日葵のよく似合う頭だなぁと」
「それ褒めてる?」
夏と言えば向日葵!と勢いよく部屋に押し掛けてきた五条の手にはどこで手に入れたのか、向日葵が何本かあった。それを誰に押し付けるのか、考えるまでもなくて再び溜息を吐き出した。
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昔、向日葵が怖かった。特に枯れて色褪せた向日葵が恐ろしくて仕方なかった。太陽に向かってぐんぐんと伸びた筈の茎の先に付く花が、枯れてしまえばもう上を向くことも無く俯く。まるで巨大な目玉がこちらを覗くような、その枯れた向日葵を見る度に恵は夏の終わりはこれだから嫌だと思ったものだった。伸びた背丈は簡単に恵も姉も追い越して真上から見下ろしてくる。それもまた、恐ろしいのだった。
しかし向日葵が怖いなどと可愛いことを思っていたのも一瞬のことで、そう長くは続かなかった。
小学三年生の夏の終わり。五条に連れられて姉と2人で旅行に出かけた。といっても電車を乗り継いで近場の総合公園に行っただけなのだけど。旅行とも呼べないようなお粗末なもの。でも電車に乗って行くような場所は初めてのことだった2人にとっては間違いなく初めての旅行だった。どんどん知らない土地へと景色の変わっていく車窓に、隣に座る姉はそわそわと視線を泳がせていたし、自分も浮き立つ気持ちを隠すようにじっと窓の外を眺めていた。
「ここね、向日葵畑あるんだって」
五条が言っていた言葉だ。きっと五条の予定ではその向日葵が咲き誇っている頃に行きたくて言ったのだろうが、結局夏が終わる頃になってしまったのだった。
背丈の高い向日葵が簡単に恵も津美紀も追い越して隠してしまうのが、そのまま攫われてしまうのではないかと恐ろしかった。枯れた向日葵が、じっとこちらを見下ろして取り囲んでしまうような、そんな想像すらした。実際、夏も終わる頃にやってきた公園ではもう向日葵は萎れ始めていて、天を向いている筈の花は下を向き始めていた。
けれど津美紀が言った。さとるくん大きいね、と。その言葉に知らず知らず向日葵の視線から逃れるように俯いていた顔を持ち上げれば、向日葵から頭1つ分抜き出た五条の姿があった。それを見たら途端に向日葵が小さく見えてしまって、ふっと肩から力が抜けて、拍子抜けしてしまった。何でも隠せてしまうと思った向日葵は、しかしそうではなかったのだ、と。
という昔の記憶に恵は深い溜息を吐き出した。こんな思い出、たぶん五条に語ることは一生ないだろう。
「人の顔見て溜息吐かないでよ」
「…向日葵のよく似合う頭だなぁと」
「それ褒めてる?」
夏と言えば向日葵!と勢いよく部屋に押し掛けてきた五条の手にはどこで手に入れたのか、向日葵が何本かあった。それを誰に押し付けるのか、考えるまでもなくて再び溜息を吐き出した。
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昔からあまり眠らなくても平気だった。人よりずっと少ない睡眠時間でも困ることは無かったし、1日くらいは寝なくても平気だったし、眠いと思ったこともそれほど無い。だから夜はただ退屈で長いだけの、暇を潰すのに苦労する時間でしかなかった。借りてきた映画をぼんやりと眺めて台詞を右から左に流すだけの時間も何度過ごしたか分からない。今でも夜は退屈な時間であることに変わりはないのだけど、しかし最近は少しだけ悪くないと思えるようになった。
「よく寝てる」
高専に帰る気分になれない日、面倒な日、現場に向かうのに都合がいい時やら、寝るためだけに帰る部屋がある。その部屋のベッドに伏黒がたまに寝に来るようになったのはここ1年の話だ。特に五条に連絡もなく勝手に訪れては男2人が一緒に寝ても十分なサイズのベッドで勝手に寝ている。きっと五条がここに来ない日にも伏黒は広すぎるベッドの上で丸くなって1人で眠りこけているのだろう。お互いいつここに来るかは決めていないし、伝えることが決まりでもない。だから相変わらず夜は五条にとって退屈で長いだけの時間だが、たまにその夜に伏黒が寝ていると途端に退屈な筈の夜はそうではなくなる。
五条と違ってよく眠る伏黒は1度熟睡するとなかなか起きない。五条が伏黒の横に潜り込んでも起きないし、飽きるまで髪を梳いても起きない。それにも飽きてやっと寝て、そして五条が起きてからやっと伏黒も起き出すのだ。
なんとなく、伏黒とただベッドに潜り込む日はいつもより眠りが深くて長く眠れるような気がする。もしかしたら伏黒の寝たがりが移るのかもしれない、なんてことも思う。
静かな寝息を立てる伏黒の隣に潜り込み、腕を回せば生きている温もりが五条の冷えた手のひらを暖めた。
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